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渡辺茂 『鳥脳力』(化学同人)

 ハトはモネとピカソを弁別できる
 p130−2
 鳥の多くは視覚動物だ。ヒトも優れた視覚動物だが、じつは哺乳類全体からみると視覚優位の動物は少数派である。
 ハトが視覚認知に優れていることを示す数多くの実験的研究がある。ハトは訓練すれば、単に図形や色を見分けることができるばかりでなく、さまざまな形が対称形であるかどうかの弁別、三角形が「三角」であってただの三本線とは違うことなどを弁別できる。
 ハトにモネの絵10枚とピカソの絵10枚を区別させる実験を行った。ハトをテレビ画面のついた実験箱に入れ、くちばしでモネの絵をつつくと餌が出るが、ピカソの絵をつついても餌は出ないようにした。この訓練を続けるとハトはやがてピカソの絵はつつかないようになった。
 ただしこの段階では本当にモネとピカソそれぞれ10枚が区別できているかどうかはわからない。モネとピカソは画風が全く異なるし、モネの10枚はそれぞれ似た雰囲気があり、ピカソの10枚も同様に似た雰囲気があるので、ハトは「モネ風」と「ピカソ風」の違いを区別していただけかもしれない。
 そこで今度は、「疑似概念弁別」といわれる実験をした。先ほどのモネの絵とピカソの絵を混ぜて10枚ずつのグループを二つ作る。どちらのグループにもモネ、ピカソが入っているから、個別の絵が見分けられないとこの弁別はできない。ハトはこの弁別課題もやってのけた。
 さらに今度は念のために、モネとピカソの区別ができるようになったハトに、訓練に使わなかったモネ、ピカソ、さらにルノアール、ブラックの絵も見せるテストを行った。するとハトは初見であってもモネとピカソが区別できた。のみならず、モネに反応するように訓練されたハトはルノアールにも反応し、ピカソに反応するように訓練されたハトはブラックにも反応したのである。つまり、印象派の絵、キュービストの絵をまとめることができたのである。

 わたしたちの大きな脳は執拗な自己遡及を行うためだけのものなのか
 p218−22
 人の小指の先ほどしかない小さな鳥脳は、意外なほど人間に類似した機能を示す場合もあれば、こんなこともできないのか、と思うものもある。
 知的な活動が脳によってなされていることは確かだが、脳はもっぱら知的な活動のための器官ではない。摂食、睡眠、呼吸、姿勢の保持など多くのことが脳によって行われている。知的活動は脳の機能のごく一部に過ぎない。脳と知的活動の関係の謎の一つは、高次機能がそれほど大きな脳を必要としないことである。
 あの小さな鳥脳が(印象派の絵とキュービストの絵を弁別するように)高機能であることを考えると、そして脳機能の神経基盤は神経細胞の数とネットワークの数であることを考えると、ヒトの大脳の圧倒的巨大さはいったい何のためのものかを考えざるを得ない。
 実験者は、実験を終えて鳥をケージに戻すとき、鳥の目を見つめながら「お前たちは本当は何を考えているのだろう」と思ってしまう。私たちが擬人主義への誘惑を感じる瞬間でもある。しかし、もし私が火星人に標本として捕まえられたら、彼らは私の行動と脳を調べ上げ、私たちが知らない私たちの秘密を解き明かすだろう。その秘密とは、数万年後に種として短かすぎる繁栄を終える元凶になる、あまりにも執拗な自己遡及と自己言及を行う私たちの脳の構造のことなのかもしれない。