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ラザフォード・オールコック 『大君(タイクーン)の都』上巻(岩波文庫)

 幕末、初代駐日イギリス公使を務めたラザフォード・オールコックの滞日記録。高校の日本史教科書にも出ていた。大君とは徳川将軍のこと。1859年から1862年までの、江戸における政治外交情勢と国民生活の様子が、絶頂期を迎えつつあった大英帝国の外務官僚の視線で書かれている。
 オールコックは来日前から当時の日本人の生活状態・産業・政治・宗教・文化に関する資料をよく読んでいて、そこから得た知識と自分の目で確かめた日本の現実を対比させながらこの本を書いたらしい。だからこの本は、刊行当時から、西洋人に対して日本を研究するためのある種の基準を提供するものとなったそうだ。
 私はいわゆる「歴史学」にあまり興味がないから、そういうことはまあどっちでもいいのだが、この本は幕末に興味のある歴史好きの人にとっても、その人が史料、文献として読むのでない限り、通読が困難である。訳者が断っている通り、オールコックの文章がひどい悪文だからだ。外交官の滞在日誌でり、交渉記録であり、異国見聞録なのだから、見た通りのことを短文で淡々と平易に述べればいいものを、19世紀のイギリス上流階級にふさわしくもってまわった修飾語を並べ、関係代名詞を延々と連ねるために主語と述語の関係があやしくなって、読むほうをいらいらさせる。
 岩波文庫の上巻だけを三分の一ほど拾い読みに近い形で読んだだけだが、いちばん興味深かったのは豊富な挿絵だった。威張り散らす下級武士、這いつくばる庶民、慇懃卑屈に腰をかがめる商人、茶屋の美人酌婦、幼児を背負う母親、東海道の風景など・・・・・、もったいぶった本文よりもずっと分かりやすくておもしろい。三巻全体では144点も収録されているらしい。そのうち半分近くは画才が少しあったオールコック自身が描いたという。

 オールコックは日本に保険制度がないことに驚いて見せる。幕末の日本は社会制度の面ではイギリスの12世紀ごろの状態であるとして、絶えず西洋社会を引き合いに出して日本の後進性を浮き彫りにするというのが基本トーンである。
 p203
 江戸には立派な消防隊制度が作られている。この消防隊は、地区ごとに多数の強壮な男によって組織されている。だが家はみな木とそのうえに泥土を塗っただけの壁とからできている。そのうえ、水の供給が乏しいだけでなく、よい器具もないから、人力だけでは何の役にも立たない。であるから、100万人以上が住む全市街がたった一晩で焼き尽くされてしまうことも、決して珍しくはない。
 わたしは一度火災保険のことを閣老たちに話してみた。彼らはひじょうに興味を持ったようであった。それのみか、生命保険というものには、ことさらに驚かされたようであった。彼らは生命保険が、長寿を保つ効能ありと信じられている彼らの愛用する丸薬のように、ある巧妙な財政的措置によって寿命を無限に伸ばしたり、若返らせたりする効能があるもののように考えたらしい。彼らは保険というものについて、長命との間に何か神秘的な関係を持つものとして想像したようである。
 だが、彼らは火災保険については、初めから望みのないものとして断念しているのには驚いた。ここでは、前任地の中国と同じように、住民はひじょうに燃えやすい家に住んでいながら、手におえないほど不注意であり、しかもそのうえ保険料を儲けるようなことはないはずだのに、放火が頻繁に起きるからである。
 p259
 日本人は何でも二つずつというのを好むようだ。二元的原理が全自然に浸透しているのをわれわれは知っているが、日本ではどこよりもひときわ念入りに進歩しているようだ。ある博学な医者の主張するごとく、頭の中には二つの脳が入っていて、そのおのおのが独立したいくつもの思考さえ同時に営むことができるということが真実だとすれば、日本人の頭脳の二重性は、政治的・社会的・知的な全生活のなかにゆきわたり、そのすべてを二重化する方法を生み出してきたとみなすことができるだろう。
 日本では、ただ一人の代表だけと交渉することは不可能だ。元首から郵便配達まで、日本人はすべて対になって行動する。例えば通訳を呼ぶとすると、かならず「影」と呼ぶ人間といっしょに現われる。「影」とはなんと奇妙なと思うかもしれないが、それを訊いてみると「目付」のことだと説明される。平易な英語で説明すると「目付」とはスパイのことで、その人なしに通訳が自分の役目を果たすことは危険なのだ。その「目付」なるものは、通訳が裏切り的な行動をとらないことを立証する人と考えられているのである。