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米本昌平 『バイオエピステモロジー』(書籍工房早山)2/4

 いまの公式生命科学では、タンパク高分子が織りなしている細胞内風景を描写できない
 p157・199
 始原合目的性という問題
 有機体の始原合目的性という事実について指摘しておきたい。この事実はいまの生命科学では反論不能である。
 仮に、もっとも単純な有機体があったとしよう。その単一の有機体は、すでにそのとき、合目的的な特徴と装置を持っていたはずである。なぜなら、それは最初の有機体なのだから、最初の生きた物質であり、そうであるなら生命の定義上、自然育種の機能を持っていたはずである。
 ということは、最初の有機体分子―最初の生きた物質が生まれたときから、それはエントロピー拡大則(熱力学第二法則)を含む古典力学と相いれない部分を含んでいたということである。なぜなら、生物は、少なくとも生きている間は、エントロピーは体内に短時間には増大せず、秩序から無秩序に向かうのは遅延されるからである。
 p207-212
 現在の生命科学の教科書を見てみると、いまもなお、細胞内の反応が熱力学第二法則に厳密にしたがっていることを熱心に説いている。世界の権威ある分子生物学者たちにとっては、生命現象が熱力学第二法則に違反しているのではないかという問いは無意味であるらしい。なぜその問いが彼らにとって無意味なのか。
 理由はきわめて簡単である。膨大な数の細胞内分子の熱力学的ふるまいを記述するには統計熱力学を用いなければならないが、その統計熱力学というのは同種・大量の球形微粒子が空間を飛び回る「理想気体」をモデルとしている理論だからである。権威ある分子生物学者たちは無邪気にも、この統計熱力学は森羅万象のすべてに当てはまる法則であると信じ込んでいる。
 ところが、考察対象が理想気体というイメージを離れれば離れるほど、当然、熱力学第二法則の適用は不適切になる。
 デイビッド・グッドセルが2009年『生命の機械』で芸術的に描き出した大腸菌内の分子構造図(左写真)を見てほしい。このグッドセルの作品は、細胞内の分子状態が統計熱力学の扱う理想気体とは全く違うものであることを説明するものとして、抜群に優れたものである。ふつうのの動物細胞では一つの細胞の中に約10,000種のこのようなタンパク質が存在する。
 しかも、ここに描かれた複雑な形状のタンパク高分子はあらゆる分子を振動させてやまない熱雑音(ブラウン運動)が停止した、(便宜的な)絶対零度の状態で捉えられており、そのブラウン運動をここにプラスすれば複雑さはさらに増す。また重量比で70%を占める水分子が捨象されていることもこの図を「分かりやすく」していることを忘れてはならない。
 生きた細胞の中では、このようにも「複雑怪奇」な構造を持つ巨大分子が宿主の体温というブラウン運動に終わりなく突き動かされている。生物と非生物はニュートン以来の統計熱力学で束ねられる同じ自然なのではなく、分子次元に降りてみれば完全に異質の自然でなのである。