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米本昌平 『バイオエピステモロジー』(書籍工房早山)3/4

 破壊した細胞をすりつぶし、酵素処理し、微小体を分離できても、
 体内で常温励起状態にある巨大タンパクの動的システムは解明できない

 p221-2
 統計熱力学の基礎にあるのは、いまだにニュートン主義である。その基盤には、自然は「物質とエネルギー」の二つの概念から成るという考え方がある。
 20世紀初頭に独立した学問になった有機化学も、生体分子を無機分子の延長線上にある程度の複雑さを加えたものとしてしか想定してこなかった。それは大らかな19世紀的な化学的思考の惰性であり、だからこそ20世紀も後半になっても、生体分子の研究は、そのあまりの複雑さに研究者の側がつぎつぎ挫折することを繰り返してきた。
 たとえば写真の物質は20世紀後半にX線解析で得られたクジラの精子のタンパク分子である。この分子にはおよそ対称性というものがない。生化学の研究者が直感的に予測できるような規則性を全く欠いており、それまでのタンパク質構造理論では考えられない形をしている。
 p301
 「細胞内自然」(本書では「C象限の自然」と書かれる)とは、分子として存在する以上不可避である熱運動、すなわち常温という“励起状態”の水の中で展開する、豊穣でかつ穏やかな高分子の反応系である。もう一段大胆に表現すれば、この「細胞内自然」とは、常温励起状態の上に浮いているたとえばクジラの精子タンパクのような分子群が、その複雑な立体構造といまだ未解明の固有振動によって、わずかな駆動力で反応サイクルが一つの方向に整う、巨大な動的システムであるといえよう。
 p241-2・p292
 これに対して現在の生命科学では、生化学実験のマニュアルに従って細胞を「破壊」し、つまり「細胞内自然」を分解・解体したあとで、その構成分子について研究することが当然のことと考えられている。標準的なマニュアルによればまず「細胞の破壊方法」が詳しく記され、そこでは細胞質の撹拌、音波処理、加圧型破壊、すりつぶし方法、酵素処理その他という順序で、破壊の方法が説明される。続いて核やミトコンドリアといった細胞内顆粒の分離へと進んでいく。
 マニュアルなのだから当然といえば当然なのだが、生化学的手法による現在の生命科学は細胞を殺して分子にまで解体することと同義なのだ。
 それは生化学が19世紀から1世紀以上にわたって蓄積した技法の集約であり、この分野の学の真髄である。そのうえで教科書は順に、細胞と細胞内部の説明へと移り、細胞内器官(オルガネラ)の生理的機能の各論に入り、それに関する分子的説明がえんえんと続く。そして、<認識論としての生化学の妥当性>には一切触れることなく、講義はとつぜんぷつりと終る。
 つまり現在の生命科学の教科書は、「生命はどのような分子からできているか」という問いを前提に、生命を分解し、目的の分子を抽出し、同じ分子であれば、10,000種の他のタンパク分子や大量と水分子と熱衝突を繰り返す生体のうちであれ、他のタンパクと相互作用のほとんどない純粋培養の試験管のうちであれ、同じ科学理論が成り立つという、先祖代々の「機械論」の了解の上に組み立てられているのである。
 あのワトソン・クリックの二重らせんの大発見はこの19世紀的な、生体内タンパクと生体外タンパクには同じ科学理論が該当するという大前提によって組み立てられたのだから、以後の生命科学者が同じ方法哲学を自分たちの基礎に据えて疑わないのも無理はない。現在の生命科学においてはこの生化学的手法が“圧勝”状態にある。