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オルダス・ハクスリー 『すばらしい新世界』(光文社文庫)

 およそ600年後の社会を描いたディストピア小説。初版は1932年という。ナチス運動がヨーロッパ全体に噂されはじめた時代だ。
 600年後の未来社会とは次のようなものだ。
 ・西暦ではなく、自動車のベルトコンベアー大量生産方式を確立し「初めて人民に幸福というものをもたらした」ヘンリー・フォードを奉った「フォード暦」を採用している。そこでは、歴史や芸術は人民の幸福増進になんら役立たないものとして、それどころか有害なものとしてまったく顧みられない。「西暦時代」の書物はすべて焼かれ、ごく一部が頂上階層の金庫に眠っているだけである。
 ・世界は数ブロックに分けられ、それぞれに一人の「世界統制官」がいて各ブロックの官僚機構の頂点に君臨している。この小説は英語だけが話される西ヨーロッパブロックを舞台としている。600年後にはドイツ語、フランス語、ポーランド語などはすべて死語になっている。英語だけが残った理由を作者は何も書いていない。あのヘンリー・フォードが神格化された社会だからなのだろう。笑える。
 ・社会は(いかにもイギリスらしく)厳格に階層化されている。指導的地位につけるのはアルファ階級だけ。ベータ階級は、分かりやすくいえば肉体労働をしなくていい現場の正社員。ガンマ、デルタはブルーカラー。守衛、現場警察官などはこのクラス。そのさらに下にイプシロンがいる。下僕、単純労働クラスにあたる。
 ・人はもはや女性から赤ん坊として生まれるのではない。出産の苦痛に対する作家の思想なのだろうか。人間は近い将来赤ん坊として生まれるのではなくなるのかもしれない。この本の中では、成人女性から採取された成熟した卵子は「中央ロンドン孵化・条件づけセンター」で精子を振りかけられ、受精卵となる。受精卵は大きなガラス瓶に瓶詰され、約280日間必要な栄養と刺激を与えられながら、センター内のベルトコンベアー上をゆっくりと動き続ける。
 ・「マルサス剤」という避妊薬によって、人口は完全にコントロールされている。妊娠はタブーであり、出産は汚辱である。母という言葉は最大級の卑猥さを意味していて、聞くものは顔を赤らめ吐き気を催す。
 ・ひとつの受精卵がひとつの胎児になり、ひとりの人間になるのはアルファ階級とベータ階級だけに限られる。ガンマ階級、デルタ階級、イプシロン階級では受精卵が「ボカノフスキー法」をほどこされ、一個の受精卵が8〜96個に分かれ、それぞれが胎児になって「下層階級として完全な」人間になる。西暦時代は一人しか生まれなかったところへ96人が生まれるのだ。この下層階級の受精卵、未熟胎児には、ベルトコンベアー上のガラス瓶にいるあいだに神経発達に影響する薬剤が投与される。熱帯地方や高温の作業所で働くようになる胎児のためには熱に対する条件づけがなされ、極地労働者となる胎児のためには寒冷環境条件づけ、化学工場労働者用には薬品耐性条件づけ、ロケット整備士用には無重力耐性条件づけ・・・・・・といった様々な負荷が加えられる。
 ・すべての人間はこうした微に入り細にわたる条件づけのあとで生まれてくるので、この社会にはストレスというものがない。そしてフォード暦184年(西暦2196年)に発見された薬剤ソーマがこのストレスフリーをさらに完全なものにする。副作用がない「精神安定剤」で、1グラム飲めば自分の一番快適な世界にすぐに旅立つことができる。しかも依存性がないのでどの階級の人も週末に飲めば最高の気分で週明けを迎えることができる。

 ・・・・・オルダス・ハクスリーの祖父トーマス・ハクスリーは「ダーウィンの番犬」と呼ばれた攻撃的な進化論者だった人だ。父レナードはそのトーマスの伝記などを書いた作家。オルダスの長兄も著名な生物学者で、ユネスコの事務局長も務めたらしい。ハクスリー家はイギリスでも屈指に名門というわけだが、オルダス自身は1970年代のカリフォルニアで、ヒッピー運動のバックボーン的存在に持ち上げられてもいた人物だ。
 『すばらしい新世界』はそうしたイギリス生物学界、文学界の大立者が書いた寓意小説である。だから、全ページにわたって、「すばらしい600年後の世界」の隅々の、登場人物の会話の波うち方に、作家の個人的目線を感じることができる。その「個人的目線」とは、「これは絵空事だよ、本気で受け取ってもらわなくていいよ。ただし読者諸君、君に知性はあるのだろうね?」という仄めかしのことでる。
 翻訳者によればジョージ・オーウェルの『1984年』と並ぶ名作ということだが、それはどうか。まるで作中の「世界統制官」のように、一般市民を見下す創作者のいかがわしい匂いを小説のあらゆる部分に発散させるのは、作家の作法としてどうなのか。『すばらしい新世界』は、「鼻持ちならない名家の人の手になる、イギリス貴族の大人の童話」である。
 『1984年』の中に、“ニュースピーク”――「すべての単語、構文に二重の意味を持たせて親世代を教育することで、その子供の世代には党賞賛の思考様式以外は不可能になる」という「新言語」の概念があった。これには心底からの恐怖を感じたものだ。なにより、「小説」として完成していて、「読者は知っているかい?」という作者の説教臭さがなかった。
 もしオルダス・ハクスリー夏目漱石より前の時代の人であったなら、そのたんなる母国の国力を背景としたわが身の泰然自若ぶりを漱石に罵倒されていただろう。いわく 「己に足りて外に待つなし、という言葉が18世紀英国文人の境遇である。フランスもドイツも怖くない。国家は安泰である。才学は自分が一番偉い。社会と風俗は自分が一番よく心得ている。ちょうど下町辺の大旦那のようなものである」 というふうに。