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阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)1/3

 中世と近代が、ある時期をもってはさみで切るように分けられるものでないことは、いまは常識になっている。日本では明治維新をもって、なるほど江戸時代の近世と明治以降の近代は区分されているが、西郷でも大久保でも勝海舟でも伊藤博文でも彼らの魂の半分以上は江戸時代にあったことは、少し勉強している子なら高校生でも今は知っている。
 石牟礼道子さんがこの『ハーメルンの笛吹き男』の解説を書いているが、彼女の住む熊本・水俣地方には20世紀後半になっても住民の意識の底のほうには中世の仄暗いものが残っていたそうだ。私の住む地方都市・福井の人々も、たとえば車を運転するとき、右左折の合図を直前まで出さないなど、「他者」を意識しなければならないはずのときの不思議な傍若無人ぶりにおいて、私に「顔見知り以外とはコミュニケーションをとらないと決めている」不思議な「中世人の仄暗い心性」を感じさせる。その代り、でもないが、病院の待合室で会った顔見知り同士の大きな話し声も、顔見知り以外はまるで見えていない中世の人たちのものである。「自分とは全く違うことを考えている人たちがいる」と一般人が考え始めたのは近代になってからであるからだ。
 ヨーロッパは15世紀末から16世紀にかけて一挙に近代に入ったのではなかった。ルターの宗教改革は中世の終わりを全ヨーロッパに告げるものではあったが、カトリックの欺瞞はすでに12、3世紀にはいたるところの農民が感じていたことだった。『磁力と重力の発見』で山本義隆氏が言っていることだが、「中世キリスト教世界では、魔術と異端は事実上同義であり、魔術は教会権力の許容しえぬものであった。とはいえ現実には、ことはそれほど単純ではない。当たり前のことだが、カトリック教会に批判的な目で見れば、祈祷を唱えて悪魔を追い払うのも、呪文を唱えて悪魔を呼び出すのも、やっていることは同じであり、パンとぶどう酒がキリストの肉と血に変るというミサそのものが魔術的儀式と選ぶところがなかった」からだ。

 この本は、有名な「遠い昔、ヨーロッパのどこかの街で起きた、ピエロみたいな服を着た男が笛を吹きながら街中の子供130人を誘い出し、どこかに連れ去ったという童話」を扱ったものである。似たような童話として「男が笛を吹きながら街中のネズミを誘い出し、川に導いて溺れ死なせた」というものもあったが、ネズミと子供がどうして入れ替わるのか、子供のころからわたしはあまり考えたこともなかった。
 場所はドイツ北部の小都市ハーメルン。事件が起きたのは1284年6月26日。教科書的に言えば中世真っ只中。カトリック教会と修道院が強圧的な権力をふるっていたが、民衆の間では古代からのゲルマンの異教的風習も盛んに行われている時代だった。

 古代からの安定した村の階層・秩序を、勃興つつあった都市の経済力が脅かし始めた。
 p82−4
 12、3世紀のヨーロッパはいわば激動の時代だった。修道院、律院を中心に各地に都市がつくられ、都市の間で貿易・商業が少しずつ行われるようになると、宗教者上層部だけの領域支配体制に代わって、大商人や有力手工業者による新しい支配体制が徐々に農村を包摂しつつあった。この領域支配は村の伝統的秩序を大きく変貌させていくことになった。
 先祖伝来の領主が新参者にとって代わられれば、村の中における階層秩序も変貌する。このような事態が村落の中で肌に触れて感じられるようになったとき、「この村はもう俺の村ではない」と感じるようになった農民が多数出たとしても不思議ではない。
 そうした農民層が現われたとき、大商人や有力手工業者という新しい支配者は「植民請負人」というものを用意し、住み慣れてはいるが貧しい中部ドイツの村を出ようとする農民を、東ドイツへ、さらに東欧へ誘っていた。東ドイツや東欧にはまだ森林や原野が十分に広がっており、開墾地の私有と数年間の免租という条件で農民を誘えば、新しい社会支配者は大きな利益を望めたのだ。