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阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)3/3

  では、笛吹き男とはだれのことなのだろうか。『チンメルン伯年代記』という題名の、「ネズミ捕り男の伝説」と「ハーメルンの子供の失踪伝説」とを初めて関係づけて記載している16世紀中葉の手書き本が、本書に紹介されている。この手書き本には以下のような内容が書かれているという。
 p237-41
 ・・・・・何百年か前、ウェストファーレンのハーメルン市の住民は無数のネズミの大群に襲われてこの上なく苦しい状態に追い込まれていた。そこに偶然、放浪芸人または放浪学生と見られるの身分の低い男が現われた。男は市民の苦しみや呪詛の言葉を聞き、相応の報酬を払ってくれるならネズミの被害から助けてあげようと申し出た。男の申し出はたいへん喜ばれ、何百グルデンかのかなりの額を支払うことが約束された。そこで男は街のあらゆる小路で笛を口に当てて吹いて歩いた。やがて街中のネズミが家々から先を争って走り出て男のまわりに集まりそのあとをついて行った。男はネズミの群れを近くの山に追放した。それ以後一匹もネズミは街に現われなかった。
 かくして男は市民に約束の報酬を請求した。しかし市民は身分の低い男に対して支払いを拒絶した。「確かに約束には反することだが、お前は笛を吹いただけで仕事らしいことは何もせず、またなんら特別の技術を用いたわけではない、わずかの金で満足すべきだ、というのが市民の言い分だった。男は約束した額を頑強に請求し続けた。支払わなければ取り返しがつかないことになるだろうとも言った。市民はしかし高すぎると言い続け、支払わなかった。
 男は支払われる見込みがないとわかると、再び前と同じように笛を吹いて街中を回った。すると街中の八、九歳以下の少年少女たちが全員男のあとをついて近くの山まで歩いて行った。山は奇蹟のごとくに子供らを迎えて開き、男はだれにも知られずに子供らとともに山の中に消えてしまった。山は再び閉じられ、それ以後男と子供たちの姿はどこにも見られなかった。・・・・・・・・というものである。

 拝金主義の先祖だった上層市民は、労働者・下層民への支払いをしばしば反故にした。
 笛吹き男(=ネズミ捕り男・下層民)は、子供誘拐という非常手段で彼らに復讐した。

 類似の伝説はハーメルンに残っているだけではない。フランス・パリ近辺でも、バルト海の小島でも、アイルランドでも同じような、「放浪芸人のような下層階級のネズミ捕り男による、約束を守らない上層市民への復讐」の話が残っている。
 中世都市の内部では、古代の身分制原理に代わって金銭の原理が徐々に台頭してきていた。金銭の原理の担い手はもちろん商人層や手工業者たちだった。彼らはみずから額に汗して行う労働こそ生活の源泉であると信じていたから、超自然的な力や父祖伝来の地位だけに頼らず、日々の仕事に精を出していた。プロテスタンティズムの倫理と資本主義者の精神が出現するずっと以前に、中世都市の商人層や手工業者たちは「近代的」合理主義を実践しはじめていたともいえる。
 しかし彼らは「合理主義者」であったから、彼らにとっては仕事こそがすべての価値の源泉だった。そのような彼らにとって、長年悩まされてきたネズミを笛を吹くだけで退治できてしまうような「怪しげな風体の笛吹き・ネズミ捕り男」は、過去の呪術的世界からの使者としか見えなかった。だから支払いの約束を破るというきわめて非人間的な、自分たちの日常倫理に反する態度をとってしまって、「笛吹き・ネズミ捕り男」の復讐に遭ってしまったのである。「笛吹き・ネズミ捕り男」のモチーフは、こうして近代市民社会における仕事=労働についての単純な合理的思考に対する批判をも含むからこそ、16世紀以降の近代世界でも全世界の人々の「脳髄の底」に読まれていく「伝説」になるのだ。