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円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)2/8

 巻三
 いまや皇太后という頂点に立ち、女性の中では権勢並ぶもののない弘徽殿の女御。源氏の須磨下りは、その弘徽殿の妹・朧月夜に、あろうことか宮中で手をつけたことがたたったものだ。その都落ちを源氏は、罪を犯したことに対する罰ではなく、自ら決めた自粛の行為なのだと思っていて、反省するところがない。たとえば『須磨』のp11で、亡くなった正妻・葵上の父親である左大臣に対してこういうことを言う。
 「こうなったのも、所詮は皆、前世の報いというものでございますから、つまりはわたし自身の怠りであったのでございましょう。私のようにさしたることもない罪に掛り合いました場合でさえ、朝廷のお咎めを蒙ったものは、そのままに暮らしを続けてゆくのは罪の重いことと唐土でも言われております。私の場合は遠流に処すべき評定もあると承りますからは、並々ならぬ罪に当ることになるのでございましょう。自分ひとり潔白な心にまかせて平然と過ごしておりますのも、何かにつけて憚り多く思われますので、このうえの恥を見ない前に、われから世を逃れようと思うようになりました」
 近代人は、この源氏の厚顔にはあきれるしかないが、なにしろ舞台は1000年前、いまの1000倍も権力と財力が世界のすべてだった世界である。今生のさまざまなよしなしごとも、来世に生まれ変わったときの蓮華の盃の色合いも、あらゆることは前世からの因縁と今生の行状の綾織物として理解されていた時代である。
 しかしながら、そういった考慮を入れてみても、全10巻の解説を書いている竹西寛子が言うように、「われから世を逃れようと思う」との源氏の弘徽殿側に対する<自粛・譲歩>のせりふの裏には、なお同情される余地を残しておこうという<狡さ・傲り>が隠れようもなく感じられて、さすがに庇いがたい。
 紫式部の主人公批判の筆はこのような場面ではきわめて露骨である。紫式部にとっては、貴公子の異常な恋愛も、奸智と保身術にたけた政治的行動も、出家を願う身勝手な浄土希求も、式部自身の生きる 「明るくもあり暗くもある」 この世のなかでの「日常の出来事」なのであって、式部にとって特別な人間などは存在しないのである。

 巻四
 『源氏物語』のなかの数多い女の中で、源氏に対して生涯最大の影響を与えたのは藤壺中宮だろう。その藤壺が、源氏との間に生まれた子が冷泉帝となって自身は皇太后となるが、37歳の盛りの美しさの中で病死する。彼女の、もはや命の尽きようとする際のかつての源氏への想いと罪の意識の深さを、紫式部は散文としてまれにみる美しさと格調高さで描写する。
 『薄雲』
 p27
 「あの若い日に、局の御簾や几帳に紛れながら何ごころもなく自分にまつわってきた世にも麗しい御子・・・・・天つ空から仮に降り下ってきた天童のように光り満ち、匂い満ちて清浄無垢に輝いていたあの五歳年下の少年は、いつか物思いのおびただしすぎる若人の姿に変って、ある時は枝を露にたわめられた桜の花群のような悩ましさにうなじを重らせ、ある時は精悍な隼のようにまっしぐらに狙い撃つ強さ激しさの悲しみに怯えて、羽ぶるいながら自分を捕え、揺すぶり、二つを一つにして見知らぬ境に連れ去って行った、二人はたしかに一つのものに変って、幻の世界にいた、それも二度までも。
 でも私はただ一言も、あの人を言葉で許すとは言っていない。私はいつも何かを盾にしてあの人を避け、とうとう避けとおして命を終わる日まで来てしまった。
 言わなかった私自身はあの人のうちに生きているであろう、それでも私はそれを言葉になし得なかった運命が辛い、主上こそこの満たされぬ思いの形見であられるが、もちろん主上ご自身はこのことの仔細をゆめにもご存じになっていらっしゃらない・・・・・。」

 しかし、第九巻まで話が飛ぶが、竹西寛子がそこで意外なことを言っている。第九巻では、中の君が相談相手と思っている薫に浮舟の存在を教えて自分は薫から逃れようとするのだが、そのことに関連して竹西寛子は次のように解説の中で書く。「中の君と薫の相談といっても、それはあの藤壺が、東宮の後見者という光源氏の地位を利用して、公然のうちに心を通わせ合ったような計算し抜かれた企みでもなかったと思う」と。
 私は素直に読んで、第一巻の『若紫』でもこの第四巻の『薄雲』でも、すこしもそのような藤壺の企みは読み取れなかったのだが。