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円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)5/8

 巻七
 『御法』
 源氏が想いを掛けた女君の中では容貌、品性、教養、気遣いなどすべてにおいて他の人に比べるところなかった紫の上。その紫の上が『御法』の帖で亡くなる。
 彼女は広大な六条の院で催されるさまざまな年中行事を差配する女主人の地位にはあった。夫である光源氏は、宮廷外の個人生活においては、あの人もよいがこの人も捨てておけないという、決断を先延ばしする優柔不断の男だった。上皇御所に匹敵する広い敷地内に春、夏、秋、冬の名をつけた四つの寝殿造り邸宅を新築し、それぞれに明石の上、六条御息所の娘である元伊勢の斎宮、花散里の方などを住まわせているのは、その破格の財力は別のこととして、そうした源氏の優柔不断な女性的性格のしからしめたものである。
 そして源氏は、その大邸宅の全体管理を「あなたが頂点にいるのだから」とまるで紫の上の心が木石であるかのように、それぞれ内に篭った個性とプライドに満ちた女君達との日常の交渉を、「万事よろしく」とあずけていた。もちろん紫の上はその自分の差配がうわべだけのものであることを弁えており、出過ぎたことをすればすぐ自分の地位が危うくなることをよくわかっていた。ただ一人の後ろ盾だった父・兵部卿の宮はすでに鬼籍の人であり、政治地図上は彼女はまったく無力だったのだから。
 そうしたところに最近、源氏はこともあろうに、朱雀院の娘・女三宮を正室として迎え、紫の上に「よく教育してやってほしい」と人の心を逆なでするようなことを言ってくる。「まだ子供のような女三宮とはどうにもなるはずがない」と源氏はいつものように紫の上の手前をつくろうが、この何十年かの源氏の女好きを知り尽くす彼女にとっては、何の慰めにもならない。

 それだけでも紫の上のストレスは限界に達していたが、そこに、太政大臣家の長男・柏木と女三宮の姦通事件が起きる。女三宮が朱雀院の内親王である以上、この姦通事件は朱雀院に決して知られてはならない。事件の次第を女房「小侍従」から知らされた源氏は、柏木を鋭いまなじりで射すくめながらも、このことを紫の上にさえ口外できず、生まれた子供を実子として育てなければならない。
 長年連れ添ってきた紫の上は、しかし、女三宮に子供ができたことにもひどい嘆きを感じるが、この六条の院全体に、子の誕生に関して妙な雰囲気を感じ取るらしい源氏の長男・夕霧の挙動にも、いつもとは異なる心のざわめきを覚えてならない。彼女は事実を何も突き止められないのだが、夫・源氏の落ち着きのなさ、源氏に辛く当たられて泣く女三宮の様子などがなんとも腑に落ちず、紫の上のこころはだんだんと病に蝕まれていく。
 それでも、そんな紫の上が出家したいと何度頼んでも、彼女なくして生きては行けない源氏は、彼女の出家を許さない。そしてとうとう『御法』において、紫の上は全身が衰弱して在俗のまま亡くなってしまう。 (この時代の貴族のこのような若死の原因は、ほとんどがタンパク質とビタミンB群の不足からくる脚気によるものではなかろうか。最初は足がやられるが次第に全身倦怠がひどくなり、ついには心不全に陥ってひどく苦しむ。900年後になって、あの森鴎外でさえ、旧陸軍兵士の脚気り患率の高さを知りながら、高名なコッホの細菌説に災いされて脚気の原因を究明できなかった。)
 源氏の嘆き方は一通りではない。次の帖の『幻』はまるまる一巻その描写にあてられているといっていい。しかし彼の嘆きは、読む人から見れば、彼女を失えば日々の支えを失うことに気付かないでいた哀れな自己中心主義者の末路の嘆きである。

 紫の上の亡くなったあと源氏は長男である夕霧に、「ひとを芯から恋しく思いつめるのは、仏の道には、まことによからぬことと昔から分別してきたので、この世に執着の残らないように気をつけてきた。紫の上が死んで私に生き甲斐はないのだが、この晩年に、死期も近づいた身の上で、かえって取るにも足らぬ絆が多くまつわって、ほんとうは出家したいのにそれができない自分の心がもどかしい」と、本心をしんみりと語る。しかしまじめな男である夕霧は、並ぶものない権力者でありながら、いい年をしていつまでも女に目のない父親をはっきりたしなめる。
 「一般から見れば、出家しても何の惜しげのないような人でも、心のうちには多くの執着を持っているものです。まして(あなたのようなひとが)どうしてやすやすとこの世を捨てられましょう。そのような仮初めの決心では、軽はずみなと非難する人も出てきて、かえって出家遊ばさない方がいいのではないでしょうか。決心が付きかねるような御分別の深さこそ、ついには道心堅固な境地に達せられる糸口にもなりましょう。」(『幻』p259)
 父親人間性を見抜いた息子の皮肉な戒めそのままに、源氏は何一つ決心できず、悩み苦しんだあげくに、紫の上の死の翌年、52歳の年の暮れに、<ものおもうと すぐる月日も知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる>の歌を残して、煙が消えるように死んでしまう。
 このあと『源氏物語』では後半の宇治十帖に至るまで、源氏の在りし日の勢威を物語る話はほとんど出てこない。紫式部はあっさりしたものである。この長い物語が光源氏をほめそやすために書かれたのではないことの証拠である。