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円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)8/8

 巻十
 浮舟は、光源氏の(世間的には)二男であり表の政治世界でも有能な薫と、親王ゆえに官位などどうでもいい当代随一のプレイボーイ匂宮の二人から想われてしまう。この浮舟に対しては、読者の好みは、男と女によっても、それぞれの社会観、人生観によっても、大きく分かれるだろう。
 浮舟は某の宮だった父親から子として認知されなかった。母親が女官を退いて受領階級に嫁いだため、幼少時を東国で育てられた。そのこともあって、気の利いた和歌がよめるでもなく、管弦が弾けるでもない。全体の解説を書いている竹西寛子氏が言うように、浮舟はしょせん、源氏の好色心を鼻であしらった空蝉でもなく、源氏と関係が終わったのちは女官長として後宮を仕切った朧月夜でもなく、ましてや知性と美しさと洞察力をすべてそなえた藤壺、紫の上のタイプではない。上の身は薫を呼ぶが下の身は匂宮をなつかしむという、時代を超える女性性を象徴するような人である。
 薫と匂宮の間に揺れ、乱れ、二つの恋を操る思慮も勇気もない女が、宇治川のほとりで死に追い立てられるのは、破滅の物語としてこれ以外にはないような成り行きである。しかも紫式部は彼女をひとおもいに死なせることはせず、浮舟は自分と薫に想い出深い宇治の院のなかで、こころざしと異なり助けられてしまう。
 紫式部が浮舟の運命をこのように書いたことについて、竹西寛子氏は「解説」の最後に書く。「浮舟の異母姉である大君は出自だけを頼みとする自愛に滅び、うぶな妹浮舟は激しい二つの恋の間で身と心の統一に破れ、しかも死にぞこなった。浮舟の甦りは、それまでいつも生きるより先に生かされてきたような彼女に、死はあまりにも無慚という救いとして見るよりも、自ら断つに値しない人生しかまだ生きていない身には、なお生き延びて果たすべき人生があるはずだという、死をも容易には許さない責め苦と見るほうが、私(竹西)には自然である。」

 その昔、源氏は正妻・女三の宮の不義の子・薫を実子として育てているとき、紫の上はたびたび出家を願い出た。しかし源氏は、自分が紫の上あっての自分であることを無意識のうちに悟っており、住まいの中に紫の上がいない生活を想像できないことから、重なる出家の願いを聞き入れなかった。そしてとうとう、薫が生まれた憂さと源氏のあまりの身勝手さに耐えきれず、紫の上は病がちになり、あっけなく死んでしまう。当然のごとく、紫の上を失った源氏は抜け殻のようになり、在俗のまま、魂が枯れ果てたような一年間を生かされる。
 光源氏と浮舟のどちらも、紫式部は簡単に死なせてくれない。紫式部は、憧れとしての出家や気分的な自殺などで物語を彩ろうとするような作家ではなかったのである。