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円地文子訳 『源氏物語』 (新潮社)〆

  なぜ紫式部はこのような長い長い物語を書いたのだろうか。第九巻の月報に河野多恵子が書いている。 清少納言が『枕草子』を書いたのは、衒いの欲望のためだったという気がする。・・・・・が、紫式部が『源氏物語』をなぜ書いたかということは、内的・外的、高尚・下劣のさまざまの欲望を想定してみても、あてはまりそうもない。・・・・・『源氏物語』を読むと、私はいつも穏やかに眺めている、そういうことが出来る気がしてくる。・・・・・『源氏物語』を読むと、物語文学というものは、その創作の動機を尋ねる気持ちを読者に放棄させるほど、その世界をただ眺めていることに快適さを与える文学のことではないか、という気がしてくる。」
 人物相関図をA4・1枚に書くのが難しいほどの複雑な物語であるにもかかわらず、『源氏物語』には「血統社会」での貴族の愛と栄誉と不安と病死しか書かれていない。藤原道長が絶頂期にあった時代なのに、政局世界の話はほとんどなく、上級公家の栄達の話ばかりで、権謀術数のことは何も書かれていない。河野多恵子の言うとおり、宮廷内外の読者は『源氏物語』を天から降りてきたような「物語というもの」としてただ眺め、受け止めていたのだろうか。

 今年初めの毎日新聞に「老いに学ぶ」という竹西寛子氏の大きなコラムがあった。京都・上賀茂神社円地文子と散策する写真がコラムについていた。そのなかで、竹西氏は古今集にある 「世の中は 夢かうつつか うつつとも夢とも知らず ありてなければ」 という詠み人知らずの歌に触れ、「世の中を、夢である、うつつである、と言い定めて何になろう」と訳すのが、当時の人々の心を理解する捷径ではないかと語っていた。
 光源氏にとって准太政天皇に上り詰める栄達と、正妻三の宮と柏木の姦通は、どちらがうつつでどちらが夢か。藤壺にとって源氏との秘め事の罪と生まれた親王の即位は、どちらがうつつでどちらが夢か。世上にそしる人とてない紫の上にとって、六条の院での優雅な毎日と源氏のあまりな女好きは、はたしてどちらがうつつでどちらが夢か。そして、二股をかけた浮舟、美しい女であればだれでもよかった匂宮、優柔不断が過ぎて浮舟を友人・匂宮に奪われてしまう薫・・・・・、登場する公達や姫君にとっておよそ人の世を生きることは、世の中を夢である、うつつである、と言い定めることではたぶんなかったのだ。
 『源氏』の100年ほど前に古今集が勅選された。紫式部は物語の中で数度、古今集に言及しているし、自身相当な歌人でもある。この有名な歌も知らないはずはない。そうであるならば、<作中人物もプロットの仕立て方も、そのすべてが夢でもありうつつでもあるような> とても複雑で長大な物語を「ただ書くこと」が、彼女にとって人の世を生きるということだったのではなかろうか。