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吉川浩満 『理不尽な進化』(朝日出版社)1/3

 本書には「遺伝子と運のあいだ」というサブタイトルが付いている。遺伝子の変異というその生物種の「域内」だけでなく、運という「域外」からの「理不尽」な干渉を無視して生物進化は語れないという意味である。
 150年前の自然淘汰説に現代遺伝学などが加わっていまダーウィンの理論はネオダーウィニズムと呼ばれ、進化論はほぼ完成された理論になっている。前半部の序章「進化論の時代」、二章「絶滅のシナリオ」、三章「適者生存とは何か」だけでも十分に面白いが、後半のドーキンスVSグールド論争を詳説することで、この本は進化論が今日ここに至るまでの思想史解説書という側面も持っている。
 どちらもダーウィニストながら一方は手堅い適応主義の王道を行く『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスと、他方近世ヒューマニストのようなスティーブン・J・グールドの論争が詳しく紹介されている。
 グールドがドーキンスを批判するのは、「ドーキンスの狭量な適応主義は非適応的なものを適応的なものより劣っているとみなしやすく、著しく現状肯定的な先入観である」という一面を持つからだ。議論は圧倒的にドーキンスに分があるようだが、少し詳しく読めば著者は正攻法で攻めまくる緻密なドーキンスよりも、論争の負けを悟りながら「生物科学の方法論にとどまらない人文主義者としての世界観」を美しい文章でこねくり回すグールドに心情的に肩入れしているようにも見える。
 二人の主張を読んでいると、著者も言っていたことだが、昔の有名なサルトルVSカミュ論争を思い出すところがある。論争ではサルトルの圧勝だったが、そのたった10年後にサルトルレヴィ=ストロースによって「サルトルの哲学は閉じられた社会特有の狭隘さに満ちている」と斬り捨てられた。
 名著である。巻末には事項索引、人名索引と本当にこれだけ読んだのだろうかと思えるほどの参考文献リストが付いており、進化論、生物学、思想史関係に興味を持つ人には絶好の読書案内ともなっている。


これまでに出現した生物の99.9%はすでに絶滅してしまった
 p36
 現在地球上に生息している生物種はおよそ500万種から5000万種といわれている。そして多くの古生物学者は、これまで地球上に出現した生物種はおそらく50億から500億種と推定している。ここで簡単な割り算をすれば、いま生きている種はこれまで出現したもののじつに1000分の一でしかないということになる。つまりこれまでに出現した生物の99.9%はすでに絶滅してしまっているのだ。なんとも驚異的な生存率の低さではないか。気持ちいいほどの皆殺しである。
 p56−61
 恐竜の絶滅は約6500万年前メキシコ湾に巨大隕石が衝突したことによることがほぼ確実とされている。しかしもちろん衝突の際の衝撃や大地震、大津波で絶滅したわけではない。衝突によって巻き上げられた大量の塵が太陽光を数年間もさえぎり、植物→草食恐竜→肉食恐竜という食物連鎖が崩壊したことで恐竜という「種」が絶滅してしまったのである。また寒冷化が相当にひどいものだったことも、体温調節能力が十分ではなかった恐竜に致命的なダメージを与えたらしい。
 恐竜の絶滅に際してはまず天体衝突という運の支配があり、そして衝突の冬でのサバイバルゲームという遺伝子を競うゲームの支配がやってきた。天体衝突が運の支配する出来事であったのは、それが生物の能力や生態とはいっさい関係のない事柄だからだ。次いで衝突の冬が遺伝子能力を競うゲームであったのは、太陽光遮断と寒冷化から相対的に影響を受けにくい生物だけを選択的に生き延びさせたからだ。
 恐竜は二重に運が悪かったと言うべきである。恐竜はまず、たまたま天体衝突の起きたときにたまたま繁栄を迎えていた。さらにふたまわり目の不運が恐竜を襲った。それは、たまたまもたらされた衝突の冬が、それまでは「適者=生き残るもの」の象徴だった巨大な身体にとって徹底的に不利な環境だったというものだ。彼らはそこで、これまで自分のかげに隠れて生きてきたような小生物が生き延びるのを横目で見ながら滅んで行ったのだ。この二重の不運を理不尽と呼ばずしてなんと呼ぼう。
 この「理不尽」を理解するポイントは三つある。一つ目は、生存のためのルールが変更されてしまうこと。衝突の冬では、太陽光の遮断と寒冷化によってルールの変更が急激かつ大規模に行われた。二つ目は、何億年もの間続いてきた古いルールへの適応が、新しいルールのもとでは何の役にも立たないということ。そして三つ目は、新しいルールはルールとして厳格に適用されるということである。この恐竜を襲った理不尽によって、それまで文字どおりの日陰者だった寒冷に強い小さな生き物――われわれの祖先である哺乳類が適者として選択的に生き残ることができた。