アクセス数:アクセスカウンター

永井荷風 『ふらんす物語』(全集第三巻・岩波書店)1/5

 1879年生まれの荷風が20代の後半、1年ほどフランスに文字どおり遊学したときのことをつづったもの。それまで数年間アメリカの日本大使館横浜正金銀行アメリカ支店に勤務していたのが、結局荷風は官吏や銀行員としての堅気の生活ができるはずもなく、アメリカという荒っぽい国の、地金まる出し社会になじめるはずもなかった。それでアメリカにはさっさと見切りをつけ、父親のコネと金力に頼って今度はフランスにわたり、当地の正金銀行でいい加減に働きながら、フランス文明という濃厚なソースのなめらかさを心行くまで味わって、その体験の愉悦と悲哀を若い才能あふれる文体に載せた。
 荷風より12、3歳年上で当時すでに大家となっていた夏目漱石は、(ウィキペディアによれば)『あめりか物語』や『ふらんす物語』を目にとめたらしい。荷風は帰国後、『ふらんす物語』が体制に批判的であるとして発禁処分の憂き目にあったが、漱石の紹介によって『冷笑』を朝日新聞に連載することができ、これも評判をとった。
 優しい男ではあるのだが一人の女と何年も暮らすことなど思いもよらない荷風のこと、フランスで遭い、深く愛したとは言いながらいつの間にか別れてしまった女たちとの掌編がいくつか入っている。荷風がどうしても肌が合わなかった明治開明期の、西洋人には醜いほど卑屈で自国人には尊大な官吏や銀行員たちの戯画も何カ所かで描かれる。また、世紀末の耽美派、ロマン派を地で行っていた荷風にふさわしく、パリやリヨンの街並みの美しさ、風と光と緑の心地よさ、夜の歓楽街の尽きない楽しみなども満腔の喜びとあわれをもって語られる。初版本が発売禁止になったのは1909年のことだった。

 p430-2
 『祭の夜がたり』・・・・こういう階級の女ほどこちらの心持を測りぬいてくれるものはいない
 柔らかい香しい手がよろめくほど強く自分を女の家の内へと引き入れた。内は真っ暗なので顔は見えない。しかし女は極めて薄い、ちょうど帽子へつけるポワルのような極めて薄いものを纏っていたばかりなので、自分は階段を上っていく一段一段、手に触れる女の身には最初何一つまとえるものもないのかと怪しんだ。
 二階へ上がると女は戸を押して、部屋の中に自分を案内するや、身を支える力もないというふうに、次の間の寝台の上に倒れ、真っ白な腕を床の方へぶら下げた。・・・・・・・寝台の上の白い敷布は剥ぎ除けられ、枕はとんでもない方に投げ出され、肌着や胸当てや靴下や、踵の高い靴が一足や、リボンの飾りをつけた靴下止めやらが、重なり、蟠り、横たわり、引っ掛かったりして、寝台や椅子や床の上に、散らばった薔薇の花のように落ちている。そして夢のような薄赤いランプの光。
 自分は何に限らず、きちんと整頓しているものよりも、乱れたものの間に無限の味わいを見出す。秩序と整頓からは何の連想も誘い出されない。
 どうだろう。自分には汚れがないと言われている処女というものは、何の感興を誘う力もないが、妻、妾、情婦、もしくはそれ以上の経歴がある女と見れば十人が十人、自分は必ず何かの妄想なしに看過することができない。不義汚行の名のもとに噂された女の名前は容易に記憶から消え去らぬばかりか、その面影は折々罌粟の花のように濃く毒々しく、自分の空想中に浮かんでくるのが常である。
 ・・・・・・自分は、フランスのこういう階級の女ほど、その相手の男の身分と心持とを知り抜いているものはおそらくあるまいと思った。惚れたの、愛するの、淋しいからのと、そんな人の心情に訴えるようなことでわれわれを誘うのはまったく無益である。フランスのこういう女たちは、われわれが彼女らに対して持っている嫌悪醜劣な感情を、その起こるがままに極度まで高めさせて、却ってわれわれをしてその虜たらしむるようにするのだ。

 p565-6
 『黄昏の地中海』・・・・日本の音楽は悲哀の美感しか訴えることができないのか
 フランスを去って日本に向かう濃紺色の地中海の船上で、船の男たちがシチリアの歌の一節を唄っている。・・・・・自分は歌は苦手ではないし、歌の文句はわかるのだが、唄ってみようとすれば肝心な節が怪しくなってしまう。いか程歌いたいと思っても、ヨーロッパの歌は唄いにくい。日本に生まれた自分は自国の歌を唄うより仕方がないのか。自分はこの場合の感情―――フランスの恋と芸術を後にして、単調な生活の果てには死のみが待っている東洋のはずれに旅していく、この思いを遺憾なく言い表した日本語の歌があるかどうかと考えた。
 しかしこれについて、自分は深い失望を感じなければならぬ。
 「おしよろ高島」とよく人が歌う。悲しくていい節だと誉める。けれども旅と追分節ということのみがわずかな関係を持っているだけで、ギリシアの神話を思い出すような地中海の夕暮れ時に唄うにはあまりに不調和ではないか。
 「竹本」や「常盤津」をはじめ凡ての浄瑠璃は立派に複雑な感激をあらわしているけれど、それが「音楽」かと言われれば歌曲というよりは楽器を用いる朗読詩とも言うべく、とっさの感情に訴えるには冷ややかすぎる。
 「歌沢節」は時代の違った花柳界の弱い託(かこ)ちを伝えたにすぎず、「謡曲」は仏教的の悲哀を含むだけ古雅ではあるが、二十世紀の汽船とは到底相容れざるところがある。あれは苫船で櫓の音を聞きながら遠くに墨絵のような松の岸辺を見る景色でなくてはならぬ。
 その他には薩摩琵琶歌だの漢詩朗吟なども存在しているが、これもおなじく色彩のきわめて単純な日本特有の背景と一致した場合、ある素朴な悲哀の美感を催させるばかりである。
 自分はまったく絶望した。自分はいかほどあふれる感激、乱れる情緒に悶えても、それを発表すべく、それを訴えるべき音楽を持っていない国民であるのだ。かかる国民が世界の他にあるであろうか。