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永井荷風 『冷笑』(全集第四巻・岩波書店)2/5

 『あめりか物語』や『ふらんす物語』で世に出て、荷風の名が知られはじめた時期の作品。1910年、夏目漱石の口利きで東京朝日新聞に連載できたこの『冷笑』によって、新進実力作家としての地位が固まったとされている。

 銀行家の小山清、小説家の吉野紅雨、狂言芝居の座付作者・中谷丁蔵、そして外国商船の事務長・徳井勝之助が、江戸末期の退嬰思潮をいまだに引きずる社会文化の底流と政府施策による上滑りの西洋化について、文明論を繰り広げる。
 四人の文明批評には、夏目漱石が『吾輩は猫である』に書いたような切れ味鋭い皮肉はない。 明治の西洋成金に対する漱石の罵倒は抱腹絶倒だったが、荷風の時代評論は穏やかである。自身の私生活が江戸末期の文芸・文化の深いところに身を浸していたこともあり、また西洋文明の表と裏の真実も身をもって体験しているところから、四人の議論はひとつの論理のなかではまとまるようなものではなくなっている。この小説では「結局何が言いたいの?」と問うのではなく、「明治末期の東京下町では、こうした議論が果てしなく行われたのだ」ということを、隅田川下流の少々汚れた雰囲気を味わいつつ読むのがいい、ということなのだと思う。
 たとえば、狂言芝居の座付作者・中谷丁蔵の家庭風景は今でも一部が私たちに伝えられている江戸末期の下町の家すがたそのままである。これはすぐ後の『すみだ川』に書かれていても少しもおかしくなく、自分は戯作者であろうとした荷風の江戸文化に対する思いが伝わってくる。

 小説家・吉野紅雨はその中谷丁蔵の家に行ってこう思う
 p330-2
 下町気質の中谷の女房のおきみさんは娘の蝶ちゃんを、芳町の半玉が大抵は弟子入りしている住吉町の師匠へ通わしている。今日はめでたい正月だという観念から、娘の蝶ちゃんの技芸を見せたいばかりでなく、自分も先に立って三味線を弾きたくてたまらなかった。紅雨は近所に聞こえる流しや声色や待合の騒ぎの音や、 そぞろ昔のしのばれる母親の三味線、かわいらしい娘の手踊りに、いつもの美しく懐かしい哀愁の恍惚をさらに深く感じはじめた。
 ・・・・・紅雨は酔いながら眺めているなか、三味線音楽のある家庭ほど美しいものはないと次第に感慨に沈められてきた。何故といって彼は日本に帰ってきて以来、音楽のある家庭を見出しえたのは、滅びた江戸時代と腐敗した花柳界の空気にいちじるしく感染した狂言作者・中谷の家庭よりほかはなかったからである。
 蝶ちゃんはお師匠さんのところで半玉と友達になって、いっしょに芸者屋へ遊びに行って姐さんと呼ばれる女からお菓子を買ってもらって帰ってくることもある。母親のおきみさんは両隣の待合とは親類のように往来しているうえに、ぜひあそこでなければならぬものとして髪を結いに行くのも、柳橋の芸者が寄り集まる髪結いの家である。
 そしてそれらの人たちから、「中谷が少しくらい浮気性だって、あんな優しい男ぶりのいい旦那様を持っていればこの上の幸せはない」と羨ましがられている。 厳格な社会観をもって評したならば、根底から汚れた家庭というべきであろう。 しかし紅雨はかくのごとく道徳の退廃した家庭においてしか、彼がかつて欧米の健全なる家庭に見たごとき、幸福と調和の美なる生活に比べるべき何物をも、自分が生まれた国の社会には見ることができなかった。

 もちろん荷風は「腐った江戸の文化」に対して冷徹な視線も併せ持っていた。
 それを直情かつ達意な文章にして小説家・吉野紅雨に発表させる。

 p399
 この時代の遊女の境遇は忠孝の道にその霊とその肉とを捧げた犠牲の結果である。かの女たちは自然の人情として忍ぶべからざるすべての行為を制度法則の前に忍び従わせて、無限の悲愁を宿す三界火宅の一身を、萬客の卑しき歓楽に逆らうことなくゆだねている。たまたまこの苦界の勤めのなぐさめとして、恋愛の夢を見ることがあっても、それは決して遠い西洋思想から学んでみた光明ある希望ではなくて、むしろ現世の執着から脱離すべき死の一階段である。
 かの女と男らは遺伝的(とも言える)修養によって得た堅固な忍耐と覚悟をもって、無残なる運命に対していささかも見苦しい反抗や、あさはかな懐疑の声を発することなく、深く人間自然の本能を罪悪だと観念し、過去一切の記憶を夢と諦め、現実の自己を恐怖嫌悪の中心と見定めて、未来永劫の暗黒に手を引きあって落ちてゆく・・・・・・・。

 荷風は当時まだ生き残っていた漢学者先生に対して容赦がない。旧時代の権威を支えた御用学者たちへの荷風の本能的な嫌悪感が、吉野紅雨の隠居した実父の「老害」攻撃によく表われている。
 ・・・・・・代々続いたある藩の学者の家から出て、父は長らく官途に勢力を得ていた後、隠居してもうかれこれ十年近く、祖先の残した古書と骨董の中にこうして安楽に平和に生きている。・・・・・尊ぶべきか羨むべきか、あるいはまた憐れむのが至当であろうか。
 あの人たちは時代と人間から全く離れて、人生とのすべての交渉を切断させて、少しの寂寞も悲哀をも感ぜずにいる、悟道の仙人である。幾千年も前の詩人がその国語と発音の自然の約束からつくった形式をば、そのままに保守して、そこには今の自己の発する自由な感想の流露を望まず、却ってそれを卑しいものとして、一字一句古人の用語を運用することを以て、詩作の方法、技巧の生命としている。
 人間がせっかく持っている自己特別の感情を圧迫して、これをいかに一定の方式にあてはめるべきかという、その手際を悟ることだけがあの人たちの津々たる興味の対象となっているのだ。