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須田桃子 『捏造の科学者』 (文芸春秋)

 毎日新聞の科学部記者が書いたSTAP細胞捏造論文事件の詳細報告。内容はだれでも知っていることだし、タイトルは「捏造」のほうがいいのに、などと思って、買ってしばらく放っておいた。それが先ごろ大宅壮一賞を受けたことを聞いて読んでみたが、中身は事件当時の毎日新聞記事と当事者間の取材メールを丁寧につないだだけの、起伏や読ませどころの少ない平凡な本だった。
 STAP細胞事件はいまや世界三大不正事件の一つとされているらしい。他の二つは米ベル研の高温超電導研究と、韓国のヒトクローン胚からのES細胞作製研究に絡む不正事件だそうだ。

 STAP細胞事件のポイントは三つある。
 <その1> 張本人の小保方晴子氏が、社会的適合性を欠いた部分が多い奇矯な性格の人であること。
 新聞にも報道されたように、彼女は早稲田に出した博士論文で冒頭20ページを米国立衛生研究所のホームページから丸々コピー・ペーストしているのだが、そのことを調査委員会で聞かれると、「研究の本題には関係ない序章なので許されると思っていた」と答えたらしい。さらに、ネイチャー掲載の本論文には、STAP細胞が皮膚や筋肉や骨の組織細胞に分化していく「証拠写真」が添付されているが、これらの写真は早稲田に出した博士論文に添付の写真と酷似していた。
 この疑義について彼女は、「写真はネイチャー論文で主張する発見内容の<概念図>なので、よく似た昔の写真と似ていても構わない」と、周囲が唖然とする遁辞を使ったそうだ。TVで印象的だった割烹着姿のあの表情を思い起こすと、人が何を考えているかはその外見から予断してはいけないということだ。
 <その2> 小保方氏を指導した笹井芳樹氏という理研トップクラスの研究者が山中伸也氏に強いライバル心を抱いている人物であったこと。二人は同じ1962年生まれ。山中氏は神戸大、笹井氏は京都大卒。笹井氏は36歳で京都大教授になった俊才である。
 このライバル心または嫉妬心によって、笹井氏は小保方氏の提出した出所不明の多くの画像を疑ってみる眼を曇らされてしまった。そればかりか最初の「世紀の大発見―弱酸につけるだけでつくれる万能STAP細胞」TV会見において、研究進展前の欠点だらけだった山中氏のIPS細胞を引合いに出してしまう。当然、改良前のIPSと比較するなんてアンフェアじゃないかと山中氏の怒りを買い、笹井氏は後日京大に出向いて山中氏に平謝りするという醜態をさらした。
 <その3> 理研という高級研究機関の官僚体質。だがこの保身体質は、もし大メディアで記事でっちあげなどが起きたときは、そのメディア内でも同じようなものが暴露されることは、朝日新聞社従軍慰安婦記事事件で証明済みである。

 どこの大企業の研究部門でも同じだが、日本有数の高度研究財団である理研は、分野ごとに「○○研究センター」というセンター制をとっている。この制度ではセンター内のできごとは基本的に当該センター内で処理すべきであり、理研トップはよほど腹の座った人間でないと嘴を入れられない。笹井氏は発生・再生科学総合研究センターの副センター長であり、しかも脳の発生再現に取り組む世界的に名の知れた研究者である。
 この日本における高級研究施設の一般状況下で、まず、出世欲に迷った笹井氏が大学時代の経歴をよく知らない小保方氏を信じてしまった。次いで、報告を受けたノーベル賞受賞者の野依理事長が笹井氏の学者としての能力を妄信し、副センター長としての資質に疑問を持たなかった。だから、笹井氏が激賞する小保方氏を見たとき、野添理事長は「彼女を全員で守れ」と指示してしまった。
 その結果、野添理事用長は理研全体の長として、弁明しようのない罪に堕ちてしまった。高等研究機関の鉄壁の官僚体質に捕えられて、ノーベル賞受賞者としてのいわゆる晩節を汚したわけである。