アクセス数:アクセスカウンター

池澤夏樹 『マシアス・ギリの失脚』(新潮文庫)

 去年古希を迎えた池澤夏樹の初期の傑作長編。文庫で600ページを超える。谷崎賞を受けている。
 舞台は南太平洋のナビダード民主共和国。いろいろな記述から、フィリピン・ミンダナオ島の東約800キロ、ニューギニア島の北約1000キロのパラオ・ペリリュー諸島にあると思われる架空の国だ。
 パラオ・ペリリュー諸島は太平洋戦争の末期に日本軍が島民を巻き込んで玉砕したところとしても有名だが、戦前は日本の国際連盟信託統治領だったこともあり、今日から見ればほぼ100年間にわたっていろいろな関係を持ってきた地域である。「わたしのラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人・・・」の「南洋」とはこの地域からグアム・サイパンあたりのことをさすらしい。
 ナビダード民主共和国を治めているのは主人公のマシアス・ギリ大統領。クルクルよく回る頭のせいで、戦争中には日本軍主計将校の小間使いとしてかわいがられた。そして戦後はその将校に呼ばれて、日本の彼の会社で経済の仕組みや、国と国、人と人の関係の機微を要領よく学ぶことができた。

 この小説は政治小説の側面と民俗誌小説の側面を持つ。まず政治小説として。極秘案件が日本政府からもたらされる。島のサンゴ環礁の中に30万トンの中古巨大タンカーを10隻並べたい、それで日本国内につぐ第二の原油備蓄基地をつくりたいというものである。しかしマシアスは、いかに島の経済のためとはいえ原油備蓄基地と美しいサンゴ環礁とはどうみても国民に説明できない。日本の提案は経済援助を振りかざす先進国のエゴ以外の何ものでもない。しかも、この案件にはもう一段の底があった。それは中国の南沙海域進出に対抗して、タンカー群の中に海上自衛隊兵站基地をつくろうというものだった・・・・・・。
 ついで民俗誌小説として。この星の中でもとくに類を見ないようなパラオ・ペリリューの、人々の生活を含む「環境」の織りなす民俗誌的風景が、詩人池澤夏樹によって何ページにもわたって、作中、幾度となく描かれる。
 たとえば、次のような「ユーカ・ユーマイ(という、とぼけた名前の)祭」の風景。・・・・・・海の彼方から来た神がうやうやしく迎えられ、舞踏と音楽が捧げられ、八年後の次の祭までの幸福が祈願される。サンゴの礁湖には魚が湧き出し、タロイモ畑にはイモが湧きだし、外国人は寄せられるように金品をもってこの島を訪れ、健康な子供が次々に生まれて育つ・・・・といった「島の幸福」が、ここに集まったみんなによって祈られている、すべての参列者がそう感じている。そして(あの日本と関係の深い)マシアスもその海の彼方から来た一人として受け入れられている。
 ・・・・・・・ウニとして生まれるもの、鳥として生まれるもの、一輪の花として生まれるもの、人として生まれるもの、生まれることは等しく幸福であり、食べるものの一口ずつ、踏み出す足の一歩ずつ、瞬きの一つずつ、太陽の光の一条ずつ、酸素分子の一つずつは幸福である。・・・・・・だれも日々の充足を数字には換算しない。五万の種を地にまいたものと、一億の種を湖に流したものはともに幸福であり、一つの種も世に返すことなく生を終えたものも幸福である。このことを、祭を通じてもう一度確認する。それをおいてこのユーカ・ユーマイ祭の意義があるだろうか・・・・。

 しかし『マシアス・ギリの失脚』はすぐれた現代小説である。パラオ・ペリリューの人々の美しい民俗誌的魂に触れてマシアスが「改心」し、自分の前半生の日本との醜い関係を告白して、その結果失脚した、というばかばかしいお話ではない。彼は、現代日本国の政治家は恥じるかどうか知らないが、モラルある「南洋」の大統領としては生きていけない恥ずべき犯罪をちゃんと冒していたのだった・・・・。