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[池澤夏樹 『夏の朝の成層圏』(中公文庫)

 池澤夏樹39歳のときの、小説家としてのデビュー作。作品の大きな枠組みだけをあの『ロビンソン・クルーソー』から丸々拝借した、見事な作りの、柄の大きな話だ。熱帯の美しい自然と失われた民俗誌描写のなかに、ハリウッドの人間模様、ニューヨークの豪華なアパートメントや米軍のミサイル実験の話などが織り込まれた都会小説である。
 全体の半ば少し前、孤島での生活術をほぼ体得した主人公のところに船が来る。それもフライイング・デッキのある大型のクルーザー。そのクルーザーから、(『解説』を書いている鈴木和成氏に言わせれば)マーロン・ブランドを思わせる、マイロン・キューランドというハリウッドの大物俳優が降りてくる。
 都会人だけからなる漂流小説である『夏の朝の成層圏』は実質このシーンから始まる。マイロン・キューランドが、主人公ヤシ(本名「やすし」と島の自然を代表する「椰子」を混血させた名前)と散歩しながら、おだやかにヤシに語りかける内容がいかにもマーロン・ブランドが若者に説き聞かせるふうで、耳に残る。その後の池澤作品にずっと登場するテーマである。

 「きみはかつてこの島がユートピアだったと思っているのか?アメリカ軍の都合でよそに移住させられたここの人間は、文明国の人間よりも幸福だったと信じているのか? それはわれわれ欧米の人間が18世紀に陥ってしまって今も抜け出せずにもがいている罠だ。高貴なる野蛮人というつまらぬ罠さ。きみたち東洋人も、ついにわれわれと全く同じ愚かさに至ったらしい。
 「人を不幸にする環境は確かに存在するが、人を幸福にする環境は存在しない。幸福はいつも減点法で測られるからね。そして環境は、減点するかしないかであって、決して加点はしないからね。
 「きみはこの島の幸福をわれわれのドルとミサイルが破壊したと思っている。しかしミサイルは核ミサイルではない。この島にだれも住まなくなったのは、そして世界中で人々が田舎から都会へと移動しているのは、別にわれわれが意図的に操作しているからではない。都市が成立した瞬間から、人は都市に集まり始めた。人が減って農村が荒れるという嘆きはローマ時代からあった。人は可能な限り群れて住みたがるんだ。・・・・・私にとってこの孤島は裏返しされたニューヨーク、倒置されたロサンジェルスにすぎない。人は都市に集まるものだし、人類がその道を逆にたどることは決してないと思うよ。」
 池澤夏樹は「ペニー・ガム」方式と揶揄される文明批判を嫌悪する。ペニー・ガム方式とは、ペニー硬貨(=特定の原因)を自販機に入れたら、必ずチューインガム(=特定の結果)が出てくるような、お手軽因果論の蔑称である。進化論であれ政治体制論であれ地球環境論であれ、ある時点のいくつかの「計測データ」をスーパー・コンピューターに入力したら必ず現在の問題状況が出力されるといったたぐいの考え方のことだ。たとえば、安倍晋三の知性の「計測データ」は日本のある種の知識人には「問題状況」だが他のある種の人にとってはすこしも「問題状況」ではないように、この領域では何が問題かを決めることさえ容易ではないことを、作家はよく知っている。