アクセス数:アクセスカウンター

井筒俊彦 『アラビア哲学』(慶応大学出版会)

 1993年、78歳で亡くなった著者が35歳のときの著作。世界的宗教学者のごく初期の論文だが、のち『意識と本質』や『イスラム思想史』の中核部分となるイスラム神秘主義と、それが西欧スコラ哲学に与えた深甚な影響などが、すでにこの中にとても分かりやすく示されている。
 なお2011年発行のこの本には付録として『東印度に於ける回教法制』が所収されていて、日本人がめったに知ることのできないイスラム法制の実態に触れることができ、なかなかおもしろかった。

 p5−7
 10世紀以前のユダヤ哲学書はすべてアラビア語で書かれた
 アラビア哲学とはアラビア語で書かれた哲学のことかというと、話はそう簡単ではない。中世ユダヤの古典哲学者たちはことごとく、世界でまれに見る語彙を持つアラビア語を学術語として採用し、その独特なユダヤ的スコラ哲学思想をアラビア語で表現した。
 10世紀以前のヘブライ語はまだなんらの学問的記述ができず、ユダヤ思想家たちは異教の言語であるアラビア語をもって思索することを余儀なくされた。かくて1204年に没したユダヤアリストテレス哲学の巨匠マイモニデスにいたるまで、すべてのユダヤ哲学書はアラビア語で著された。
 これらのユダヤ哲学の作品がアラビア語からヘブライ語に移されたのは12世紀以後のことである。それより300年の長きにわたって主要なる作品全部を翻訳注解し、ヘブライ語を完全なる学術語に高めたのは主としてディッボン家一族の功績だった。13世紀のマグヌスやアクイナスの思想形成に甚大な影響を及ぼしたユダヤ哲学思想は、これらの翻訳注解がさらにラテン語に訳されてキリスト教世界に導入されたものである。

 10世紀以前から過激だったイスマイール派
 一方、アラビア哲学とはアラビア諸民族による独自の思想体系かといえば、そうではない。アラビア哲学とは新しい哲学思潮ではなく、アラビア語の衣をまとったギリシア哲学そのものである。すなわちそれはアリストテレスプラトンプロティノスというギリシア哲学の三大潮流がイスラム世界に流れ込み、イスラム教徒にそのまま受容され加工されたものなのだ。
 もちろんギリシア思想が加工される間にイスラム特有の要素が意識的無意識的に混入していることは事実だが、そうであってもアラビア哲学は根本的部分においてイスラム的であるよりもギリシア的である。

 p35
 アラビア哲学はそもそもの初めから一種の雑種学説だったのだが、この折衷主義的精神を端的にあらわしているのがいわゆる「純正同胞会」の教説である。この教説はギリシア思想のみならず、ペルシアのマニ教ゾロアスター教をはじめ、およそあらゆる方面から霊魂救済に有益そうな説を一応イスラム化して提供しようとしたものである。もちろん専門哲学者の書斎における高度な思索ではなく、民衆の間に通俗運動の形をとって広められたのだが、そのぶん社会一般に与える影響には非常に大きなものがあった。
 「純正同胞会」なるものは、イスラム二大会派の一つであるシーア派の中でも特に極端過激なイスマイール派の人々が、政治的弾圧を逃れるために結成した宗教的秘密結社のごときものである。その成立年代は正確には知りえないが、10世紀にはすでに堂々たる一大結社となり、総本部をバスラにもって全イスラム世界を席巻しようという勢いを示していた。イギリス、アメリカ、フランスが中東に巨大な権益を確保して今日に至る1000年も前から、イスマイール派は過激だったのだ。

 東印度に於ける回教法制
 利子の禁止(p227)
 インドネシア、マレーシアなど東南アジアのイスラム社会でも、貸し付けにおける利子の禁止は厳格である。これを破ることは偶像崇拝、殺人、姦淫などの重罪を構成する。しかしながら利子の禁止は市民の経済生活に多大の不便を与えることも事実である。だから生活の実際の場面では、次のような法適用回避の手段が案出されて広く用いられている。
 ●仮装売買を二度くりかえす。すなわち、貸主は貸すべき物を一度形式的に借主に売却する。ただしその代金は後から支払われるものと約定しておく。そうしておいて、あらかじめその同一物を売値より安い値段で再び買い取ってしまうのである。こうすることで、売値と、再び買い戻すときの安い値段の差が、事実上は利子と同じことになる。つまり利子を仮装しただけのことである。この方法はきわめて簡単なところから、非常に広く行われて、西欧にまで影響を及ぼした。
 ●借主は自分の所有物のうちの何かを貸主に担保として提供し、自分が借財を返済するまで貸主がその物を自由に使って利益を上げることを認める方法である。利益はもちろん貸主のものとなるから、これもまた一種の偽装利子である。