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池澤夏樹編集 『日本語のために』(河出書房新社)2/4

 p255-7 小松英雄 『いろはうた』
 いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす

 日本人なら知らぬ人はまずないと思われる「いろはうた」は、これが作られた平安時代の日本語音韻全48文字のうち、「ん」を除いて1字の欠落もない47文字を全部使った(7音/5音)×4連の今様歌謡体でつくられている。平安時代末期の著名な真言宗の僧によれば、ここには「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」という日本人にもっとも好まれる仏教的生死感が表現されている。
 しかし(一息でざっと読んでもそれはその通りだと思うし、子供時代にもそう習ったが) 、7音/5音の各連を詳しく見てみれば、その示唆する「意味」は曖昧なところが多く、とりたてて深い味わいがあるというものではない。この歌謡はそういった「意味」よりも、当時の音韻をあらわす47文字全部を1文字ずつ使ってまとまりのある歌にした「曲芸」にこそ真髄があるように思われる。

 ・・・・「いろはうた」があまりにもよくできているので、われわれ日本人は空前絶後の最高傑作であると感心し、その後長い間、だれがどのように工夫を凝らして作ってみたところで、とうていその足元にも及ぶことはないと考えてきた。空海の時代に今様の形式はまだなかったのに、俗説では空海の作と言われてきたことも、この歌謡の超絶技巧ぶりを物語るものだろう。
 ところが1903年(明治36年)、当時の有名な新聞『万朝報』が「国音の歌」を全国につのったところ、一万首以上の応募があった。その中から一等に選ばれたのが、次の埼玉県児玉郡青柳村の坂本百次郎氏の作品「とりなくこゑす」である。「とりなくこゑす」は「いろはうた」に欠けている「ん」も加わり、また「いろはうた」中の<わかよたれそ>の6音の字足らずも解消していて、今様体としてきれいに韻律が整っている。「いろはうた」に勝るとも劣らない出来栄えといってよい。
 とりなくこゑす ゆめさませ    鳥鳴く声す夢さませ
 みよあけわたる ひんがしを    見よ明けわたる東を
 そらいろはえて おきつへに    空色映えて沖つ辺に
 ほふねむれゐぬ もやのうち    帆舟群れ居ぬ靄のうち

 本書で紹介された『万朝報』の「国音の歌」入選作を見てみると、20等入選作くらいまではみごとな作品が多い。識字率の高い国では、こうしたことは、多くの人がまじめに取り組みさえすれば、存外まとめることができるものらしい。ただしかし、人生を古来ずっと短調で解釈する国民の心に、「とりなくこゑす」が「いろはうた」以上に染み入るかどうかは別問題である。