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ホルヘ・ルイス・ボルヘス 『七つの夜』(野谷 文昭訳)(岩波文庫)

 千一夜物語とは、この世の物語には果てがない、という意味。 p82-3
 『千一夜物語』がはじめてヨーロッパ語に翻訳されたことは、ヨーロッパのあらゆる文学にとって、最大のできごとだった。当時、18世紀初頭のフランス文学は、自分たちの修辞法が東洋の侵入によって脅かされていることを疑いもしなかった。
 当時のヨーロッパの修辞法は警戒と禁止、理性の信奉から成り立っていた。「精神の働きのうち、一番活発でないのが理性である」とされ、ボアローはじめ詩人たちは理性のうえに詩を築こうとしていた。ヨーロッパは、東洋がさほど重きを置かなかった「理性」を、人間のすべてを発露させる詩の源泉であるとまで信じ込んだのだ。
 ロマン主義の運動は、だれかがノルマンディーかパリで『千一夜物語』を読んだそのときに始まったと言える。西洋文化にとって二つの不可欠な国があるが、それはギリシアと東洋の国イスラエルのことだ。西洋文化というのは、それが半ば西洋のものであるにすぎないという意味で、不純だと言える。
 p88-9
 歴史というものは西洋が発見したものである。ペルシア文学の歴史、インド哲学の歴史は存在しない。中国にも中国文学史はない。なぜなら人々は出来事の連続に興味を持たないからだ。文学や詩は終わりのない過程と考えられている。わたしはそれは本質において正しいと思う。
 『千一夜物語』というタイトルもたいへん重要なことを暗示している。つまりこれは終わりのない、この世のようにいつまでも続く、物語であるという意味である。わたしの人生は不幸であるかもしれない、けれどわたしの家には『千一夜物語』の十七巻本がある。だから、わたしの家には東洋で作られた、一種の永遠が存在するのだ。
 ひとは『千一夜物語』の中に迷い込みたいと思う。その中に入れば人間の哀れな運命が忘れられることを知っているからだ。その世界は、個性的人物とともに、生まれながらのの原型的人物からも、成り立っている。