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ミシェル・ウェルベック 『服従』(河出書房新社)

 2022年のフランス大統領選挙でイスラム政権が誕生するという近未来の政治・文明論小説。第一回投票では極右・ファシスト国民戦線候補が一位、イスラム同胞党が二位になるのだが、決選投票で国民は<ファシストよりはイスラムの方がまだまし>と考えた結果、「穏健な」ムスリムの大統領が誕生した。
 ミシェル・ウェルベックのこの最新作『服従』はヨーロッパ中に衝撃を与えたらしい。その理由について、「解説」で佐藤優氏がイスラエル人の友人と事情通同士の会話をしている。どちらも国際情勢分析を仕事にしてきた人である。

 佐藤 『服従』がヨーロッパ人に衝撃を与えた要因は何か。
 イスラエルの友人 ヨーロッパが崩れかけているからだ。
 佐藤 崩れかけているとはどういうことか。
 イスラエルの友人 一昔前なら、EUに共通通貨ユーロが導入されたのだから、政治統合も間近と思われた。しかしいま、ギリシャ、トルコ、イギリスなど、種類の違う問題が山積みになっている中で、そんな楽観をしているヨーロッパ人はいない。EUは分解過程にあるのではと多くの人が考え始めた。EUが分解し、中核国のドイツとフランスが対立するようになるのではないかという大きな不安がヨーロッパ人は抱き始めた。
 佐藤 21世紀の普仏戦争ということか?
 イスラエルの友人 そうだ。EUが分解するとその危険が生じる。そんなとんでもない戦争よりは、「穏健な」イスラムならその下で平和が維持される方がいいのではないかという作業仮説をウェルベックは提示しているのだと思う。ウェルベックは、ヨーロッパ人が内的生命力を失っているのではないか、と強く恐れている。この恐れが『服従』からひしひしと伝わってくる。

 「ヨーロッパ人が内的生命力を失っている」ことは、既作『素粒子』や『地図と領土』から一貫したウェルベックの創作モチーフとなっている。
 内的な力を失った生命は、誰か、または何かの「力」に服従しなければ生きてゆくことができない。人間だけが「内的」と「外的」の区別を感じて、その一対を意識して生命を成り立たせている。馬はそういうことをしない。だから人間だけが、一対のうち片方を失えば、それを屈辱を忍んででもどこかから持ってこなければ、全体が、生きているだけのカオスの中に沈んでしまう。

 宗教を無視してヨーロッパ文明は何も語れないとされる。が、この小説の中で政権をめざすイスラム同胞党のバックには途方もない石油資金力を持つサウジと湾岸のアラブがついている。新政権はオイルマネーをさまざまな社会政策に導入して税制その他の国民福祉策を約束する。これに大衆はどう反応するか。
 たしかにインテリの世界では、「宗教を無視してヨーロッパ文明は何も語れない」。しかし一般大衆にとっては、戦争やテロがなくなり、税金が安くなり、少々貯金できれば、一度いなくなった神様や仰々しい「ヨーロッパの伝統」などは「本に書いてあるだけの問題」だ。

 生活向上をうたう新政権は大衆に「小さな譲歩」だけを求める。現在の男女均等・能力差無視の教育について、ほんの少し考えを少し改めてほしいと。
 そうすれば、教育改革の結果、貧困層は社会支配層に従順になり、社会不安は激減する。人間関係も「本来の」力関係に従って変わっていくだろう。(精子を与える存在としての)男には厳しい淘汰圧がかかるようになり、社会適応能力の高い男だけに複数の美しい女性が近づく。
 特別な社会能力のある女性は別として、普通に初等教育を受けただけの美しい女性は能力ある男の家に入り、高い料理技術を身につけ、何人もの子供を育てる。そのようにして新しいフランス社会では、先行きを暗くする人口減少の問題は、問題の根拠自体がなくなってしまう。万々歳ではないか・・・・・・・。

 主人公は19世紀末の“デカダンス作家”ユイスマンスを研究する優秀な大学教授である。歴史の中でのユイスマンスの存在理由、その「美しい」生活態度についての研究は価値あるものなのだが、読み終えてみればこの主人公自身が「滅亡寸前にあるヨーロッパ人」なのだった。イスラム新政権以後、どのようにして彼の西欧インテリとしての「生きる物指し」が変わっていくのか、その不気味さがこの傑作の読ませどころだ。

 ところでルイ15世は死の間際「我が亡き後には洪水よ来たれ」と言ったという(p67)。「あとは野となれ山となれ」という意味だ。もっとも、この小説の最後に洪水が来るわけではない。