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シェイクスピア 『ジュリアス・シーザー』(ちくま文庫)

 この芝居、タイトルが『ジュリアス・シーザー』だから、シーザーが主役かと思っていたら違った。シーザーはただの殺され役だ。主役は『アントニーとクレオパトラ』でクレオパトラに溺れたあげく、オクタビアヌスに大敗して自殺したアントニーである。自分の栄達のためには肉親すら売ってしまうアントニーの人物像を際立たせるため、シーザーを白昼の議事堂で暗殺したブルータスがアントニーの罠に落ちる好人物として、悲劇的に描かれる。
 ブルータスは、シーザーを王位への野心ありとして刺したのだが、暗殺直後の一部市民の歓喜を見てそのクーデターが多数に支持されたと勘違いしてしまう。そしてつぎのような簡単なスピーチをしただけで、市民の歓呼に送られて自宅に帰ってしまう。
 ブルータス: 善良な同胞諸君、事をなしとげた私は少し疲れている。家に一人で帰らせてくれ。シーザーは野心家だったが偉大だった。これからそのシーザーに敬意を表し、シーザーの忠実な将軍だったアントニーが追悼の演説をする。その言葉を聞いてくれ。アントニーは、シーザーの数々の栄誉について、われわれの許可を得て演説する。アントニーが語り終えるまでだれも帰らないでくれ。


 かつては勇猛で名を馳せたアントニーだが、芝居の前半では三度も跪いてシーザーに月桂樹の王冠をささげようとし、そのたびごとにシーザーが(表向き)払いのけるという茶番を演じるお調子者に描かれている。だからブルータスのクーデターを喜ぶ市民から見れば、追悼演説するアントニーの立場は非常に微妙である。普通にやればおべっか使いか命惜しさの卑怯者として、市民に逆に断罪されかねない。
 しかしお調子者の内股膏薬という人種は、自分を守る巧妙な<言葉>の手立てを、いつの時代も持っている。以下の見事な追悼演説でアントニーは市民の心をつかんでしまう。市民の移ろいやすい心をつかむことなど雄弁家にとっては朝飯前のことである。
 アントニー: ローマ市民諸君。諸君の前で私の信用の足場は、いま非常に滑りやすい。だから、いま何を言えばいい。ローマに栄光をもたらしたシーザーをたたえても、彼に野心ありとしてシーザーを倒したブルータスを愛すると言っても、どちらに転んでも私の評価はひどいものにならざるを得ない。
 シーザーよ、あなたの霊魂がいま我々を見下ろし、忠実だったアントニーがあなたの敵の手を握って和解するのを見れば、その嘆きはあなた自身の死を嘆くより激しいのではないか。
 ・・・ブルータスはシーザーが野心を抱いたという。そしてまぎれもなくブルータスは高潔な人物だ。私はブルータスの言うことを否定するつもりはない。ただ知っていることを言うためにここにいるだけだ。諸君はかつてシーザーを愛した、愛するだけの理由があった。ならばいまどんな理由があって彼を悼もうとしない?つい昨日まで、シーザーの言葉には全世界を敵に回してもひるまぬ力があった。だがいま彼はそこに横たわり、諸君の内うち最下層のものですら敬意を払おうとしない。それはなぜなのだ!
 ああローマの市民諸君!仮に私が、諸君の心情と意思をあおり、狂乱と暴動に駆り立てたいと思っているなら、私はブルータスを裏切り、ともに命を賭けたキャシアスらを裏切ることになる。諸君も知ってのとおり、彼らは高潔だ。私は彼らを裏切りたくない。死者を裏切り、私自身や諸君を裏切るほうがいい。
 ところでここにシーザーがみずから封印した文書がある。彼の書斎で私が見つけた。彼の遺書だ。この中身を諸君が読んだなら、諸君は横たわるシーザーに駆け寄り、傷口に口づけし、シーザーの聖なる血にハンカチをひたすだろう
 市民たち: 遺書だと、中身を聞きたい。読んでくれ、マーク・アントニー。
 アントニー: こらえてくれ、心優しい友人たち、読んではならないのだ。英雄シーザーが諸君をどれだけ愛していたか、諸君は知らない方がいいのだ。諸君は人間である以上、ローマ史上最も公正で偉大だった英雄・シーザーの遺言を聞けば、怒りが燃え上がり、半狂乱になるだろう。諸君がシーザーの相続人であることを、諸君は知らない方がいいのだ。知ったら最後、ああどうなることか!

 このあと市民たちはシーザーの遺体をどこかに運び去り、家々に火をつけ暴動に走る。知らせを受けたブルータスとキャシアスたちはローマから逃れるが、オクタビアヌスとアントニーの連合軍に破れ、ブルータスは部下に持たせた剣の前に自分で倒れこんで自害する。