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シェイクスピア 『リチャード三世』(新潮文庫)

 『リチャード三世』はシェイクスピアにとっては初期の習作にすぎなかったということだが、客入りや出版では大評判をとっていたらしい。1594年の初演に使われた四折り本が1623年の最初のシェイクスピア全集までに六度も版を重ねているそうだ。その人気の理由を福田恒存が「解題」に書いている。
 「それはこの脚本が単なる復讐劇ではなく、劇のもっとも本質的なものの上に立っているからである。個人の意思を超えた大きな運命の流れが作品を一貫していて、自分だけはそれから免れていると思っている人物たちが、次々とその罠に陥り、彼らが意識の外で不用意に洩らした言葉が必ず自分の頭上に降りかかってくる。
 「そしてリチャードは、自分だけは運命の手から逃れていると、誰よりもそう思っている。薔薇戦争の時代、自分が属するヨーク家の親族やその女、幼い子供までも謀殺し、人々の運命を操っているといるのは自分であり、のみならず自分の運命さえ自由にできると思っているリチャードが、最後に、もっとも完璧に、追いやった者たちの反乱連合軍に破れて、自分の運命の存在証明をする。そういう悲劇的アイロニーそのものを表出するためにこそ、この劇は書かれているとさえいえる。その点でこの劇は非常に論理的であり、読者あるいは見物の倫理観と心理を満足させるものとなっている。」

 p170-1

 薔薇戦争最後の勝者であるリチャード3世は、敵王やその息子、弟や、多くの臣下を無慈悲に殺害した。先王の母エリザベスはリチャードを地獄の手先と呪うが、図に乗ったリチャードはあろうことか彼女の娘を自分の嫁にくれと迫る。「今日までのあなたの悲惨は明日の栄光の下地なのだ、嫁が自分の子を産んでくれれば、あなたは皇太后になり国の母になるではないか」と、運命の司祭であるかのような詭弁を弄して。
 リチャード : もしこの身がイングランドを横取りしたと言われるなら、、それをあなたの娘御にお返しして、せめてもの埋め合わせをしよう。あなたのお子達をこのリチャードが殺したと言われるなら、それを生き返らせるため、残った娘御にこの身の子を産んでもらい、あなたの血筋を立てるという手がある。おばあ様と呼ばれれば、お母様と優しく呼びかけられるのと、情愛に変わりはありますまい。子供は子供、位が一桁違うだけ、同じあなたの血筋だ。
 あなたの失ったのは、ただ息子の王位だけだ。その代わり娘御のために妃の位が贖える。この身がどんなに償いをしたいと思っても、いまさらどうにもならぬとすれば、この精一杯の気持ちだけでもお受けいただきたい。
 あなたは再び国王の母君、悲惨な過去は娘が王妃となりあなたが国母になる二重の幸せで、ことごとく償われようというもの。今日まで流してきたあなたの涙は、一滴一滴、きらめく真珠の玉となって、その手に戻ってこよう。失った金が十倍、二十倍の幸福の利子を背負って戻ってくるようなものだ。さあ母上、一刻も早く娘御のところへ。まだ恥ずかしがる年頃だ。そこはあなたの年の功、せいぜい馴らしておいてください。愛の言葉を聞いても驚かぬように下話をしておいていただきたい。・・・・

 官軍のエゴイズム、敗将の母后をいたぶる醜さをこれほど露骨に描いたものがあっただろうか。2年後、リチャード三世は味方の裏切りに遭い、自ら斧を振るって奮戦したが戦死した。遺体は、当時の習慣に従って、丸裸にされ晒されたという。