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佐伯啓思 『さらば、資本主義』(新潮新書)1/2

 第二章 朝日新聞のなかの「戦後日本」p35-49

 2014年6月末、安倍政権が集団的自衛権についての従来の政府見解見直しを決めたころのことです。朝日新聞の東京・大阪本社版に、「制服向上委員会」なる「肩書き」をもった15歳女子高校生のインタビュー記事がのりました。見出しが「男子に血を流させるな」という、当時話題になった記事です。内容は「AKBの話に熱中したり、お弁当のおかずがいつもより一品少なくて落ち込んだりする、そんな愛すべき男子を戦場に送りこんで、血を流すこととはやめてもらいたい」という趣旨でした。
 朝日にもこんなユーモアがあったのか、と私はつい吹き出してしまいました。朝日の記者は、大人が言うとさすがにちょっと気恥ずかしいことを女子高校生に代弁させておいて、ほらこの子たちも考えているじゃないの、この子たちの言うことも聞きましょうよ、と言いたいわけです。
 もちろん朝日の編集局は本心から、国家の集団的自衛権について、戦後民主主義制度の成り立ちと現下の国際情勢のことを考えずに、「かわいい男子高校生たちを戦場で死なせたくないから反対だ」と言っているわけではありません。本当にそんなことを思っているのなら、新聞として論外ですし、「日本一のクオリティペーパー」を自任する新聞として、彼らがいつも気にしている「世界のクオリティペーパー」から笑われてしまいます。
 要するに、ややこしい話を詰めたってどうせ読者はわからないだろう、と「クオリティペーパー」の編集局は考えている。でもオバサンや一般有権者の素朴情緒的反対論もフォローしておかなければならない、そこで「男子高校生を死なせるな」になってしまう。新聞社としての「クオリティ」を落とさずに素朴情緒的反対論をフォローするには、ナイーブな(はずの)女子高校生にしゃべってもらえば大丈夫だろう、と考える。この女子高校生はいわばダシに使われたわけで、「ややこしい話を詰めたってどうせわからない」読者はなめられたわけです。朝日独特のあざとさです。


 しかし、それにしても、「制服向上委員会」女子生徒の「男子生徒を殺すな」発言はなぜあれほどまでにオバサンや一般有権者の話題を呼んだのか。その理由は「何も知らない女子生徒」や「かわいい男子生徒」が「純粋無垢な人」だからです。強引に安保法制を強化していく安倍政権に対して、彼女らと彼らは、「無抵抗な絶対的弱者」だと朝日新聞は考えている。何よりも守らなければならない戦後民主主義制度において、その根幹である平和主義に関して、「純粋無垢な絶対的弱者」の生きる権利が危機に瀕していると考えている。
 そして昭和初期の日本においても「無抵抗な絶対的弱者」は、天皇を担いだ軍国主義勢力によって戦争に引きずり込まれたのだ、 基本的に権力者は危険極まりないもので、国民は常に被害者になる可能性が大きい、 それに抵抗するものこそ民主主義者である――――かくて朝日新聞をはじめとする「進歩派知識人」の民主主義理解は「民主主義は国家への抵抗なり」という珍妙な理解によって統一されています。ギリシア、ローマの市民政治の反面がポピュリズムの愚劣であったことは、こうした論調の中ではまったく顧慮されません。まして自分の新聞社が戦時協力新聞の先頭にいたことはオバサンには一切伏せられています。
 2014年、朝日新聞社の名前を改めて世界に知らしめた国辱的なあの従軍慰安婦記事は、こうしたあざとさと欺瞞的な体質から自然に生まれたものではないでしょうか。