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丸山真男 『「文明論の概略」を読む』中(岩波新書)2/2

第11講 徳育の過信と宗教的狂熱について

p213-18

宗教的狂信の精神構造

 ギゾー『ヨーロッパ文明史』とともに福沢の『文明論之概略』の思想的下敷きとなったバックル『イングランド文明史』のなかで、バックルはフランス、スペインでの宗教裁判、異端審問のことを詳しくとりあげ、福沢に強烈な印象を与えています。バックルが述べているのは、真摯な信仰からいかなる悪事が生まれるか、まったく善意の有徳な宗教者がいかにその狂信にもとづいて恐るべき迫害を行ったかということでした。誠心誠意、真正な宗教を広め、これを妨げる「邪教」を退治しようとする結果、宗教的なファナティズムが生じて恐るべき残虐が行われる。
 日本にはヨーロッパに比べられるような宗教戦争がないものですから、福沢は同時代に近い水戸藩の党争の例を出します。水戸藩の党争では学派の争いと政治的な争いが結びついていましたから、ヨーロッパでの宗派の争いと政治的な争いに近い例と思ったのでしょう。
 水戸藩でははじめは立原翠軒派と藤田幽谷派が水戸学の中で分かれて争ったのですが、のちに天狗党の段階になると、もはや学派的論争でなく、幕末の政治情勢もからんで、天狗党の乱の鎮圧の後も、いや大政奉還になってからでも、凄惨な抗争がくり返されます。互いに自らを正党とし相手を姦党と決めつけて武闘を展開し、たいへんな犠牲者を出してしまう。
 水戸藩は、尊王攘夷論の全国的パイオニアの役割を果たし、吉田松陰も水戸に来て会沢正志斎に会い、教えを請うたほどです。それなのに維新後は政治的指導者に見るべき人材がまったく出ていない。幕末の抗争でほとんど殺されてしまったのです。この水戸の抗争は、現代のセクト間の、いわゆる内ゲバの原型をなすものです。政治や学問が宗教化することによって狂信が昂進するという恰好の事例だといえます。
 学問上の争いと政治上の争いがいっしょになるとひどい結果になる。トライ・アンド・エラーと反対に、誤謬は許すべからざる悪となるからです。誠心誠意で真理を広めようとすることから狂信が生まれ、おそるべき迫害が出てくる。これは、マルクス・レーニン主義の党と国家の問題にもまっすぐ通じる生々しい事実です。

 

第13講 どこで規則(ルール)が必要になるか

p290-1 経済道徳とルール

 福沢は西洋の経済道徳について、国民のルール感覚との関係を述べています。この経済道徳の低さも、福沢が当時の日本について痛切に感じていたことの一つです。
 <目前の小さき利のために廉恥を破ることあり。たとえば生糸蚕卵紙を製するに、不正を行ふて一時の利を貪り、ついに国中の生糸蚕卵紙の値を落として全国の大利を失ふごときは、面目も利益もあわせてこれを棄つる者なり。これに反して、西洋諸国の商人は、取引を確かにし、方寸の見本を示して数万反の織物を売るに、かつて見本の品に異なることなし。これを買ふものも箱の内を改むることなく、安心して荷物を引き取るべし。>
 生糸蚕卵紙の話は、ウェーバー流に言えば、蔑まれた古代―中世ユダヤ人のパーリア(賤民)資本主義の典型例になります。商人は、士農工商といわれるように、時代の価値体系の中で一番低いところに位置付けられてきた。それを逆手にとって、「どうせ自分は賤しい身分なのだから」と、金儲けのためには手段を選ばないという破廉恥な利潤追求の態度が出てくる。もちろん一般的な傾向の話であって、商人のエートスがまったくなかったわけではありませんが、これがいわゆる町人根性です。
 イギリスではジェントルマン、フランスではシトワイアン(公民)、アメリカではコモン・マン(普通人)というのが、それぞれの国の典型的人間像ですね。外国では日本人でそれにあたるのはサムライなのです。これを逆にいえば、日本の町人階級は、江戸時代にあれほど富を蓄積し、江戸や大坂で繁栄を極めたにもかかわらず、ついにブルジョワジーとしての自国の典型的人間像になれなかった。それで今にいたってもサムライが典型的日本人像として通用している事態を生んでいるわけです。ついでにいえば政治権力に寄生する「政商」というのは賤民資本主義の一変種です。