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白井聡 『永続敗戦論』(太田出版)1/3

 衆愚政治のまんなかにいる安倍晋三とその一派への怒りを、気鋭の政治思想家・白井聡がマジになって書いた。2013年のベストセラーになった。
 白井の「永続敗戦」とは、①事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て、戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、国内とアジアに対しては自分たちの恥ずべき歴史事実を否認しながら、②自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続け、③いっぽう国民の方でもそのような政権の姿に満足を表明しているーーそのようなマスタベーション状況を指している。
 本来なら米国は、日本に対して2発の原爆を落とし、ポツダム宣言による日本支配を主導し、東京裁判の首席検察官を出し、沖縄を米軍施政権下に置くサンフランシスコ講和条約を取り仕切った国である。戦後民主主義に不平を言い立てるなら、それを持ち込んだ米国に文句を言ってみるのが筋である。ポツダム宣言東京裁判サンフランシスコ条約を一方的であるといって否定しなければならない。しかし彼らは、いうまでもなくそのような「蛮勇」を持ち合わせていない(p48)。
 国全体のマスターベーション状況は、死刑に処せられるべきA級戦犯を神としてあがめることによく現われている。これらのA級戦犯東京裁判で「自分たちは時の勢いのしからしむところに従ったまでであって、個人の意思として犯罪行為を遂行したのではない」と口をそろえた。アイヒマンニュルンベルグ裁判で「自分は命令に従ってやったまでだ。他のドイツ国民のだれが自分の立場になっても、だれもがおなじことをしただろう」と言い放ったのと全く同じ言い分である。しかしヒトラーは自殺し、アイヒマンは15年間アルゼンチンに逃げたがイスラエル情報部にとらえられ絞首刑になった。
 ナチズムは言い逃れのできない<悪>であることが全地球的に合意された。ナチズムがどこかの教会で赦免され、政府首脳や議員団に礼を尽くして拝されるというのは聞いたことがない。
 欧米諸国はとりあえず自分たちの国とは関係が薄いから、靖国問題に強い興味を持っている態度を示さない。しかしアジア諸国にとってみれば、自分たちを踏みつけにした当の本人が神としてあがめられているのは、自分たちを今でもバカにしているのと同じことである。米中会談で中国がこのことを米国大統領に真顔で言いだせば、米国大統領は日本に何もしないわけにはいかなくなる。戦前的価値観への共感を隠さないアナクロ政治勢力の知性とは、この簡単なことにさえ想像がおよばないお粗末なものである。

 p38-42

 2009年、有権者の圧倒的な指示を受けて成立した民主党鳩山政権は、普天間基地移設問題において事態を打開できず、わずか9か月で退陣に追い込まれた。このときメディアでは「首相の政治手腕の巧拙」という問題ばかりが報じられた。確かに、「最低でも県外」と当初は宣言しながら、最終的には「沖縄に米軍基地があることによる総合的な抑止力を確信するにいたった」という迷言を発することになった鳩山の迷走ぶりは非難に値する。
 しかし、こうした政治家個人の手腕の拙劣さに議論を収斂させることは、問題の著しい矮小化以外の何ものでもなかった。退陣劇を通して露呈したのは、この国においては選挙による圧倒的な支持を取り付けている首相であっても、「国民の要望」と「米国の要望」の二者択一を迫られた場合は「米国の要望」をとらざるを得ない、という客観的な構造にほかならない。
 ・・・これは驚くべき事柄だろうか?断じてそうではない。かかる政治のあり方は、戦後の東アジア親米諸国(韓国、台湾など)の政治史と比べて、なんら異様なものではない。韓国や台湾では権威主義的で暴力的な反共政権が長きにわたって統治した。韓国で議会制民主主義が根付くのは1980年代末であり、台湾で一党独裁が終わったのは1996年である。それは、それらの地域が冷戦構造における真の最前線であったがゆえに、政治権力・体制にデモクラシーの外観を纏わせる余裕など、いささかも存在しなかったからである。
 つまり、明らかになったのは次のような事実である。すなわち、戦後日本においてデモクラシーの外皮を纏う政体がとにもかくにも成立可能であったのは、日本が冷戦の真の最前線ではなかったために、米国は日本に少々の「デモクラシーごっこ」を享受させるに足るだけの地政学的余裕が生じていたからにほかならない。