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伊東光晴 『ガルブレイス』(岩波新書)

 2006年に亡くなった大経済学者ガルブレイスは、「いい政治」は経済を一般市民にとって過酷でない方向にリードできる、とずっと考え続けた。 1930年代、ニューディールという実効性のある政策によって社会が大恐慌から立ち直るさまを、経済学の学生・研究生として身をもって体験したことが、ガルブレイスの「進歩的」態度を終生不変のものにしたと言われている。
 それは、青臭くいえば、「経済は基本的に悪を生みやすく、政治はそれを正す善でなければならない。自由放任の市場経済は不平等を生み、貧困が生まれかねない。これを正すのが(累進法人税で吸い上げた)資源の再分配を積極的に行い、失業に立ち向かう大きな政府である」ということである(p97)。

 このガルブレイスの対極にあるのが、ノーベル経済学賞ではなく、ノーベル記念スウェーデン国立銀行・経済学賞をとった自由放任主義の大立者フリードマンである。国立銀行が主宰する経済学賞なのだから、受賞者の経済理論はその銀行の金融政策に合致する理論であることが求められるわけで、アルフレッド・ノーベルの<人類の幸福増進>という「気高い」理念にのっとっている必要はない。
 このフリードマンによれば、日本の不動産バブルもリーマンショックも、社会の慣習・制度や政府の恣意的な介入・規制という「非合理性」のせいであるとされる。小泉純一郎ロナルド・レーガンマーガレット・サッチャーも大向こうをうならせることが好きな性格の人間であり、そろってフリードマンの信者だった。この三人の政府トップの基本姿勢が似ていることは驚くほどである。<市場原理主義、適者生存、参入条件や価格規制の緩和、成功と失敗の自己責任化>・・・・そうしたことで、たとえば日本では、一次産業が疲弊し、地方都市の商店街にシャッターが降り、中小企業の社員の給料が上がらなくなってしまった。それから何年がたっただろう。日銀の現総裁・黒田氏もフリードマン主義の金融主義学者である。
 預金金利がゼロになっても企業は臆病にも巨大な内部留保を持ち続ける。リスクをとりたがらない一般国民は人文的教養に乏しい首相が「成長の矢」を何本放っても消費に向かわず、タンス預金をし続ける。フリードマン主義者の日銀総裁と財務官僚は、単純にも、国民の性格・慣習・制度や過去の政府の規制理論などの<非合理>なものは、スーパーコンピューターを使った金融経済学の高度な<合理性>の敵ではない思っているのだろう。

 p98-9

 フリードマンのような市場原理主義は、今でもアメリカの実業界では多数派を形成している。そのアメリカ社会には、日本や西欧のような国民皆保険制度がない。(それに準じたものを作ろうとしたのが「オバマケア」だが、強力な圧力団体である生命保険会社と医師会は手を携えて法案を何度も否決しようとしてきた。この圧力団体があのトランプと手を組み、今度こそは葬り去ろうとして再び失敗したのが今年2017年初めの事態である。)
 この、先進国としては異例とも言える状況には、H・スペンサーがダーウィンの進化論からインスピレーションを得た「適者生存」の思想が関係している。ダーウィンは「適者生存」のことなど言っていないのだが、スペンサーが勝手に導き出したこの言葉は19世紀から20世紀にかけてのアメリカで大歓迎を受けた。
 
その頃アメリカはトラスト運動による巨大企業成立の時代であり、「適者生存によって社会は進歩する」とするスペンサーの本は当時の成功した、あるいは成功しようとしていたアメリカ企業人の心をくすぐるものだった。それは「金ぴか時代」と呼ばれたが、石油王・ロックフェラーは演説にはそうしたアメリカ的成功者のマインドがよく表れている。今でも共和党員が酔っぱらうと喋りそうな言葉である。(トランプはいま法人税を極端に低くして大企業を活性化させ、市場経済の不平等をさらに広げようとしている。さすがに共和党内部でもこの法案はあまりに露骨であるとして、成立の見込みは立っていないとされるが。)
 
「大企業の発達は適者生存にほかならない。・・・美しく香り高いアメリカン・ビューティ種のバラが作られて見る人の喝采を博するのは、そのまわりにできた若芽を犠牲にしてはじめて可能なことなのだ。ロックフェラーの大繁栄も咲き誇るバラと同じである。」