アクセス数:アクセスカウンター

アンジェイェフスキ 『灰とダイヤモンド』(岩波文庫)

 ナチスドイツが無条件降伏した1945年5月初旬。その数日間にポーランドで、ソ連帰順派と自由独立派がともに正義を語ろうとして希望のないテロと報復を続ける。

 ふつうの日本人がポーランドについて知っていることはわずかだ。個人としては、ショパン以外には、20世紀末のワレサ氏のことくらい。ソ連崩壊による東欧民主化の中で労働組合「連帯」を指揮し、造船所の電気技師から大統領にまでなった。しかし退任後は大戦中にナチスと付き合いがあったとか言われ、退任指導者批判という中進国特有のゴタゴタにはまっている。

 ポーランドは土地が痩せている。近代農業になって化学肥料が投入され、品種改良が進むまでは、小麦があまりできなかった。ジャガイモと大麦、ライ麦、蕪しか収穫できなかった。それで、ヨーロッパのどこの国の小説を読んでも、ポーランドは二流国に描かれてきた。フランスやイギリスはもちろん、ドイツでもロシア(この国には肥沃なウクライナの黒土地帯がある)でさえ、ポーランド人は差別対象の国民だった。

 ポーランドが蔑視されるもう一つの理由にユダヤ人の比率が高いことがある。それも、東欧のユダヤ人は西欧と違ってヨーロッパ人と同化することを拒み、中世以前から彼ら独特の、ウチとソトで基準が異なるいわゆる二重道徳の処世態度を守りつづけてきた。彼らは人目に立つ表の政界に立つことを慎重に避けたし、生業ではモノを「作る」製造業よりも「流す」商業や金融業を好んだ。そして人に金を貸す場合、ユダヤ人が相手の場合とヨーロッパ人が相手の場合では利率がまったく違ったという。

  こうした、貧乏なうえにユダヤだらけのポーランドだから、近代に入ると周囲の大国、ロシア、オーストリアプロシアのいいようにされた。第一次大戦まではずっとこの三国に支配され続け、民衆の抵抗・反乱はことごとく挫折した。

 第一次大戦ハプスブルクオーストリアは消えたが、第二次大戦では再びドイツに真っ先に蹂躙され、六百万人もが戦死または強制収容所送りになった。本書の「解説」によればナチから派遣されたハンス・フランクというポーランド総督の恐怖政治はすさまじいものだった。あのアイヒマンを大型にしたようなハンス総督は心の底からポーランド人を「劣等民族」と思っており、知識人絶滅政策を系統的に実行することで、ポーランド人の奴隷化を実現しようとした。

 大戦の後半、ロシアが反撃に転じると今度は赤軍の戦車とカチューシャ砲弾が町と村を穴だらけにした。ロシアがやったこともナチとあまり変わらなかった。土地と建物を破壊するだけでなく、ナチ占領時代の対独協力者を徹底的に洗い出し、その者たちを簡易裁判で処刑しておいて、来たるべき戦後のポーランド支配の布石を着々と打っておいたのだ。

  この小説では、主人公のひとりである元裁判官がナチ強制収容所内でじつは<罪>を冒していたことが明らかになる。強制収容所内で「副看守」をつとめ、ナチに協力して自分だけが生き延びようとしたのだ。しかし作家アンジェイェフスキは、とくに彼を糾弾しない。「この収容所内で裏切り者になった裁判官も、ドイツやソ連との戦いで倒れた多くの若者と同様、死んだらただの灰になるだけの人間かも知れない。ただこうした灰が無限に積まれれば、(その重みで)底ふかくにはダイヤモンドができるかもしれない」と言っている。

 とてもいい小説だったが、スラヴ系の名前がとにかく覚えづらかった。途中でこれはついていけないと思って、人物相関図を作りながら読んだ。同名の有名な映画があるが、一度見ただけでは名前と顔がなかなか覚えられないのではなかろうか。