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マルグリット・ユルスナール 『ハドリアヌス帝の回想』(白水社)1/2

 西暦37年に自殺に追い込まれた暴君ネロから半世紀後、ローマ帝国には5賢帝時代という約100年間にわたる穏やかな繁栄の時代があった。いわゆる「パックス・ロマーナ」(ローマの力を背景にした平和)の時代だ。 第2次大戦後の現在の相対的な平和をパックス・アメリカーナという人もいる。平和とは皮肉なものなのだ。

 5賢帝の2人目、トラヤヌス帝の時にメソポタミアのパルティアを征服するなどローマは最大の領土を治めた。そのトラヤヌス帝の次がハドリアヌスである。在位は西暦117年から138年の21年間。次のアントニウス・ピウスを指名するとき、ハドリアヌスはピウスに、すでに天才少年として令名高かったマルクスを養嗣子とするよう指示している。有名なストア派人皇マルクス・アウレリウスは事実上ハドリアヌス帝が自分で指名したわけで、2代あとまで皇帝を定められるほどの勢威を帝国の全土と元老院に及ぼしていた。

 『ハドリアヌス帝の回想』は、1951年に刊行され、フランスはもちろんイギリスでもアメリカでもよく読まれたらしい。1951年といえば「教養主義」がまだじゅうぶんに生命を持っていたころである。著者マルグリット・ユルスナールは20歳代前半にこの作品を発想し、30年近くにわたって改作に改作を重ねて、彼女の西欧型古典の知識教養のすべてをここに注いでいるという。このパックス・ロマーナの時期のことをフローベールは書簡集の中で、<ローマの神々はもはやなく、キリスト教はまだ浸透していない、ひとり人間のみが在った比類なき時代>と書いた。マルグリット・ユルスナールハドリアヌスにことよせて、まさにこの「ひとり人間のみ」の時代の英雄を描こうとし、成功していると思う。

 いちおう小説ではあるのだが、少年期のマルクス・アウレリウスにあてて書き起こされた養祖父の回想録の形をとっているため、会話文がいっさいなく、段落もとても少なく、けっして読みやすいものではない。35年ほど前にだいぶ読み進んだことがあるのだが、後半の2章は疲れ切って諦めた跡が残っていた。時間があり余るいまあらためて通読してみたのだが、(ハドリアヌスのことでもあり、ユルスナールのことでもある)才能に恵まれた人が本気で「文明」や「進歩」を考えたときの気迫が、みごとな翻訳を通して作品の行間に滲みわたっていた。35年前のわたしはそれを読むこともできない人間だったことを深く考えてしまった。