アクセス数:アクセスカウンター

フォークナー 『八月の光』(新潮文庫)

 南北戦争前後のアラバマミシシッピといった南部諸州。下層の白人は、人口の上でもどんどん増えてくるたくましい黒人を、貧しくなるいっぽうの親の仇であり、エイリアンであると思っていたかもしれない。そんな、荒っぽく粗野なアメリカの原風景が、熱い八月の太陽にだらだらと絞り出される汗の模様のように描かれる。
 カルヴィン派長老教会の篤信夫婦の娘が、四分の一だけ黒人の血が入った男と愛し合うようになる。八分の一黒人の男の子が生まれるのだが、狂信的な娘の父親はお産の床に医者をわざと呼ばず、娘をそのまま苦しみの中に捨ておいて死なせてしまう。信仰あつい父親にとって、黒人男と交わった娘は、神から祝福された白人社会全体を滅ぼすようなことをしたのだ。必ずもだえ苦しんで死んでもらわねばならないのである。生まれた八分の一黒人の男の子まではさすが殺さないのだが、男の子はすぐに孤児院の玄関先に捨てられる。


 全篇で、信者が自分一人で向き合わねばならないプロテスタントの怒りの神と、黒人に対する白人の恐怖と、黒人のあまりの無教養と、南部の赤土にぎらぎら照りつける太陽の印象がとても強い。しかもとても長く、章立てが込み入っており、一つの段落の中で異なる時制と叙法が使われているなどして、読みやすい小説とは決して言えない。
 キリストを象徴したらしい神経質な(八分の一黒人の成長した)男と、のどかで「だまされようが何しようが、信じる方が結局は報われるのよ」とでもいいたげな女が一人ずつ出てくる。神経質な男は殺人を犯し、保安官に追われてキリストのように殺されてしまう。
 いっぽう女は白人男に騙されて妊娠し、のんびりと小説の舞台の地まで男を追ってやってきて、月満ちて無事出産し故郷のアラバマまで帰っていく。八分の一黒人男とのんびり女は小説の主人公としては一度も顔を合わせることさえない。不思議な構成だが、さすがフォークナーと言うべきか、または翻訳がいいのか、読者はこの点で作者をいぶかることはない。

 フォークナー自身は韜晦するようなことしか言っていないが、この読みにくい小説で彼は何が言いたかったのか。<ヨーロッパの文化を継ごうとする意識さえない人々>、<ばからしいカルヴィン派の福音宗教がこの工業国で隆々たる理由>、<動物が牙で自分の身を守っているようなライフル社会>・・・・・、いいことも悪いことも何でも信じてしまう田舎の少年が、その欲望をむき出しにしたまま大人になった国、それがアメリカだということだ。そのいちばん上にいまトランプがいる。