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森鴎外 『阿部一族・堺事件など』(昭和出版社 鴎外作品集第4巻)

 この巻には、ほかにいくつかの短編が入っている。その一つ『羽鳥千尋』では、羽鳥という青年に私淑され、書生として居候させてくれと頼まれる(鴎外自身らしい)「私」の、小学校以来の大秀才ぶりが詳しく書かれている(p63-4にかけて)。鴎外のことだから文の調子は抑えられていて、少しも嫌味ではないが、あきれるほどよく勉強ができたようだ。
 『堺事件』は土佐藩士が20人ほども切腹させられた外交事件を描いたもの。大政奉還の前後、フランス駐留兵とこぜりあいがあって、フランスが先に発砲したのにもかかわらず、撃ち返した土佐藩に非があるとされたという典型的な「植民地いじめ」である。外交能力のまったくない日本政府を小手先で扱うヨーロッパ先進国が憎らしいが、小説の中ではそのフランス公使が武士たちの凄惨な切腹場面を見せられて慌てふためく。
 藩士の中には、自分の腹をまず下から上へ、次に左から右へ裂き、最後に上から下へおろして、しかもその裂けた腹に手を突っ込み、腸をつかんで投げる者もいた。この場面は史実らしい。場所は土佐藩菩提寺の庭。外国事務総裁の皇族・山階宮、伊達、細川、土佐、薩摩、長州、備前など雄藩の家老が立会人としてこの地獄絵図の見物人となった。
 以来150年の間にこの国の人の、ものの見方、思い込み方、感受性はこんなにも変わった。いま私たちは、何に目をそむけ、何を美しく正しいと思い込んでいるだろうか。