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谷崎潤一郎 『春琴抄』(講談社全集)

 谷崎潤一郎が美しいと考えるもの」が前面に出た中編。47歳のときの作。「女性がもつ、この世界で他と比較できない美しさ」の前には、その女性の人となりの高慢とか残酷とかはどうでもいいことである、男と生まれたからには美しく気品ある女性には必ず跪かなければならない、と、簡単にいえばそういう話である。
 大阪・道修町の裕福な薬種商に生まれた春琴。華奢にしてバランスのとれた手足と身体つき、美しい顔立ちに恵まれているだけでなく、物心ついてから習い始めた舞と音曲にも、花街の若い芸者衆が恥じ入るほどの天分を見せる。父母の可愛がりかたは当然並大抵ではなく、店の奉公人や習い事の師匠がちやほやすることも一通りではなかった。立居振舞には自然驕慢・我儘の風が目立つようになるが、9歳のときその春琴は (彼女の美と早熟を嫉む誰かが花柳病の菌を食物に入れたという噂が立ったほど) 突然眼疾になり、あっけなく盲目になって運命が暗転してしまう。 

 この春琴に男巫女のように仕えるのが店の丁稚の佐助。近江から出てきたとき春琴はすでに盲目だったが、まじめ一本の佐助はなぜか瞼を閉じた春琴の不思議な気韻に打たれる。いっぽう春琴も、ふだんは身の回りの用を務める何びとにも気むずかしいのだが、佐助の口数が少ないことを気に入ったのかどうか、音曲の稽古行き帰りの「手曳き」から日々の雑用まで佐助を指名するようになり、小用の手水かけやはては風呂場での背中流しなども任せるようになる。

 数年後には二人の間に子供ができてしまう。しかし二人の間に一般世間の恋愛感情はまったくない。月並みの夫婦関係や肉体の関係」はまったく書かれていない。春琴は佐助の子であることを不自然なほど強い言葉で否定する。その方面については「佐助は、少なくとも春琴の意識としては、生理的必要品以上に出なかった」とさえ谷崎は言う(p442)。
 生まれた子供はどこか里子に出されてしまうが、そのことにも谷崎はなんにも頓着していない。谷崎が書いているのは春琴が女主人としてどれだけ傍若無人にふるまい、三味音曲の表現だけでなく作曲にも秀で、当時の女性にまれな美食家であり、美しい自分の体の維持に気を遣い、佐助がその全部にわたって奴婢としてほぼ50年のあいだ、毎日毎日、全身全霊を尽くし続けたということだけである。

 37歳のとき、春琴は酒宴の席でやくざ者を馬鹿にしたせいで、鉄瓶の熱湯を頭から浴びせられるという事件が起きる。身を捧げ尽くすことを生きがいとしてきた佐助は無残に崩れた春琴の顔を見ることはできない。春琴の心内を思いやれば見てはならない。そこで佐助は、春琴の火傷の痛みが引いたふた月後、あろうことか縫い針で自分の両目を突いてしまう。谷崎のマゾヒスティックな女性美学を極端なかたちであらわした有名な結末だ。 p453
 痛くはなかったかと、佐助が目を突いたことを聞いて、春琴が言った。いいえ、痛いことはござりませなんだ。お師匠様の大難に比べましたら、これしきのことが何でござりましょう。お師匠様だけが苦しんで、自分が無事でおりましては、なんとしても心が済まず、罰が当たってくれたらよいと存じまして、災難をお授けくださりませと朝夕拝んでおりました効があって、ありがたや望みがかない今朝起きましたらこのとおり目が潰れておりました・・・・・・。

 その後もふたりの間には3人の子ができたが、ひとりは死産、あとはふたりとも里子に出されてしまったらしい。それはそうに違いない。天界の出来事のような両親の純粋さを保つためには、子供はからみつく絆(ほだ)し以外の何物でもない。