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宮本常一 『家郷の訓』(岩波文庫)

 宮本常一は明治40年に山口県の田舎に生まれ、17歳で大阪に出て、20歳を過ぎてから小学校の教員に採用された人である。その人が民俗学に興味を持ち32歳から日本全国を旅して、当時すでに失われつつあった草莽の民の生活を丹念に拾い上げ、まさに地に足の着いた民俗学を築いた。
 しかし彼は第二次大戦中の「ソロモン海戦での大勝利」を発表どおりに鵜呑みする人だった。P86に、(第二次大戦中、それ以前の村里教育を侮るような方針が一新されて) 出征兵士の家などへ国民学校生徒の奉仕作業が行われるようになり、そのことを宮本自身がはなはだ好感を持ったとある。また、この時局に目覚めた新しい母親たちが子に対する権威を真に回復してくる日も近いと思う、とも記している。彼は自分が生きる世界の大海のことには目が向かない人だった。
 
 大海を知らぬことが別に<悪い>ことではないのだし、大海を知っても<いい>ことは何もないのだが、素朴な民草として自らに安んじているのみでは、語彙と論理の豊かなホモ・サピエンスが迫ってくる時代において口下手ネアンデルタールの過酷な運命は避けられない。「ソロモン海戦での大勝利」を発表どおりに鵜呑みする民草は外界に掘られた陥穽に気付きさえしないから、陥穽を掘ったホモ・サピエンスから糊口の途を根こそぎにされるだけである。大仰に言えば、ネアンデルタールが世界の40%にしか精神を開こうとしなければ、世界のあとの60%を作っている「近代」から排除されてしまうのはしかたがない。

 故郷と身辺の故事にとてもくわしい郷土史家でもある著者の文章は、記述の理路がときどき怪しくなる。しかもそれを「人は人、わたしはわたし」とあまり意に介さない。ぼんやりした目で鏡を見ている「閉じた社会」の人だと、憎まれ口も叩いてみたくなる。私は学生の頃、故郷の福井の、いったん決めたことを蒸し返していつまでも話がまとらない、村人寄り合いの話をよく父親から聞いた。
ここに出てくる郷土伝承の語り手はその「閉じた社会」の村落民をさらに中世化した人々である。そして彼らの話を採りあげる著者も話し手と少し似ている、と言っては宮本ファンにこっぴどく叱られよう。滅びゆくものに一掬の涙も注げない浅はかな近代主義者と罵られもしようが・・・。