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カミュ 『転落』(新潮文庫)

 『転落』が出されたのは1956年のこと。「革命か反抗か」というサルトルとの有名な論争の4年後である。この論争で、哲学者でないカミュは、サルトルの切れ味鋭く容赦ない論理の力に完全に打ちのめされた。論争は西欧人特有の「歴史」観をめぐるものだったが、サルトルマルクス=レーニンの「世界歴史の発展段階理論」とデカルトの人間理性万能主義によって重武装しており、小説家であるカミュはこと「歴史と知識人」というようなテーマでは、サルトルに歯が立つわけがなかった。
 ジャンソンという当時気鋭の左翼思想家の挑発に乗って相手側の土俵に載せられてしまったカミュは、当然ながら体系的な歴史観を持っていないことが暴露され、有名作家として哲学の知識が乏しいとまで侮辱された。カミュのファンは『革命か反抗か』を読みながら、さらし者になるカミュが可哀そうでならなかった。

 1957年にはノーベル賞を受けるが、もちろんカミュは終生この屈辱を忘れることはなく、フランス文壇では孤立した人になっていた。『転落』はこの時期に書かれたのだが、『異邦人』や『ペスト』と比べて、これがムルソーやリウーという英雄的主人公を作り出したカミュの作品かと思わせるほど作風が全く変わっている。
 主人公の名はジャン・バチスト・クラマンス。なぜか「世界に嘲笑られること」をいつも恐れている男である。この名前自体が「荒野で叫ぶ洗礼者ヨハネ」のもじりらしいが、この男に自分を投影した執筆時のカミュの気分が想像される。
 小説の中では、人間の誠実、正義、連帯、勇気などあらゆる概念の欺瞞性と二重性が、クラマンスの長大なモノローグの中で抉り出される。しかもその舞台がカミュには似合わない重苦しい雲が覆う北ヨーロッパアムステルダム北アフリカの明るい太陽になれた読者は最初からまごついてしまい、暗い気分に落とされてしまう。サルトルに八つ裂きにされたことで、ここまでカミュは「転落」してしまったのだろうか。
 もちろんその後のサルトルカミュの位置関係については、大きな皮肉が起きたことは多くの人が知っている。カミュが1960年に「失意のうちに」自動車事故で死んでから2年後、あのレヴィ=ストロースは、主著のひとつ『野生の思考』のなかで、歴史は合理的に発展しなければならないものではない、サルトルルネサンス期のような理性万能主義で歴史を裁断するのは、西洋とはまったく異なる歴史のとらえ方があることを知らない田舎者の独善であると断罪した。

 内田樹氏よれば、『野生の思考』のなかでのレヴィ=ストロースの言葉には軽蔑といっていいほどのものが含まれている。墓の中のカミュが以下の数行を読んだらどれほど慰められただろう。
 「人間性のすべては、人間のとりうるさまざまな歴史的あるいは、地理的な存在様態のうちただ一つのものに集約されるべきであると信じ込むためには、かなりの自己中心主義と愚鈍さが必要だろう。
 「サルトルが世界と人間に向けているまなざしは、野生=閉じられた社会とこれまで呼ばれてきたものに固有の狭隘さを示している。
 「サルトルの哲学のうちには、野生の思考の多くの特徴が見いだされる。それゆえに、サルトルには野生の思考を査定する資格はないと、私たちには思われる。 逆に、民族学者にとって、サルトルの哲学は第一級の民族誌的資料である。 私たちの現代の神話がどのようなものかを知りたければ、これを研究するのが不可欠であろう」・・・・・・・。