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丸山真男 『開国』(岩波・著作集第八巻)

 「絆」と「和」は社会が閉じていることを表すキーワードである

 開国とは、国家がいろいろな意味で「閉じた社会」の状態から「開いた社会」の状態に移ることを意味する。そして「国家」はその成員のすべての団体――藩であれ県であれ、会社であれ町内会であれ、学校であれPTAであれ――を包含するものであるから、ひとたび国家が国際社会に開かれるとき、国内のすべての団体はその影響を受けざるを得ない。
 本論で論じられる幕末の開国だけが、閉じた社会を開いた社会に変化させたわけではない。本論が書かれる20年前の敗戦もまた、明治の開国以後も牢乎として根を張ってきた閉じた社会を開く絶好の契機になるはずだった。

 p45−53
 閉じた社会とはいうまでもなく上は祭政・教学の始祖・教祖の権威が真理価値と合体し、下は家元・師匠の権威が美的・倫理的価値と合体するように、政治的権威が道徳的ないし宗教的価値と合一するような基本的傾向性を持つ。
 そこでは自己以外の権威や流派という「反対者」は殲滅すべき敵ではあっても、それとの討論・競争を通じて客観的価値に接近してゆくための必要な「対立者」ではない。門弟が家元・教祖を批判することや、独自な方向を選択することは、家元が価値の体現者である以上、ほとんど必然的に真理や美それ自体への反逆であり、価値秩序のアナーキーを意味する―――、それが「閉じた社会」というものだった。
 知られていることだが、日本語の討議・演説・会議・可決・否決・競争というような言葉は、いずれも維新当時において福沢諭吉ら洋学者の苦心の造語によるものである。そうした言葉がそれまでの日本になかったということは、とりもなおさずそれに相当する概念すらが維新当時にはなかったことを物語っている。
 『福翁自伝』の回想によれば、彼がまだ幕臣であったころ、チェンバーズの経済論を翻訳し幕府勘定方の役人に見せたところ、「競争」の争という字は穏やかではなく、このままでは御老中方へ御覧に入れるわけに行かぬ、と言われたという。「(こともあろうに人間行動の基本を論じる)経済書中に、「人間たがいに相譲る」とかいうような文字が見たいのであろう、この一事でも幕府全体の気風は推察できましょう」と福沢はあきれている。
 第2の開国がなされた敗戦から70年、十分に開かれたはずのわが社会である。その社会において、文武百般、政界から文壇まで、柔道からお茶お花まで、タコ壺に閉じこもった流派の家元がいまだに価値の体現者であるのはなぜなのか。陰湿な会社内の気配り競「争」に敗れた若者が「リア充」なる奇怪な言葉を作り出し、しかもそれを面白がって流行させるわがメディアの気風とはなんなのか。
 (「リア充」とは、実際の現実の生活(リアル生活)が充実している人間、恋人や友人付き合いに恵まれた人間のことを言うらしい。当然、「リアル生活」の語の裏側には「仮の生活」が想定されているわけで、「会社内の競争」に敗れた若者は自分たちの敗北を「仮の敗北」と認定し、ほんとうの敗北とは認めない、したがってあまり反省しないという心性を持っている。会社での勝ち負けなんてタテマエ社会での勝ち負けなのさ、俺はいま探しているホンネ(リアル)社会で負けはしないさ、というわけである。ただし勝利、敗北とは何なのかということは、「いまはリア充」の人は問わないらしい。)