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丸山真男 『「文明論の概略」を読む』上(岩波新書)2/3

 第3講 西洋文明の進歩とは何か――野蛮と半開

 上巻 p104、 106−7
 「御殿女中根性」が幅効かせる半文明化社会
 福沢は幕末維新期の日本を野蛮期と文明期の中間段階にあるとしています。特色ある考えではないのですが用いられている言い方が興味深い。とくに社会関係について <人間交際については猜疑嫉妬の心深しと雖も、事物の理を談ずるときには疑を発して不審を質すの勇なし。> 猜疑嫉妬の人間不信が強いのに、それを言葉にして問いただす勇気がないということ、すなわち「怨望」の念に支配されている人が多いという。
 簡単にいうと御殿女中根性です。福沢は『学問のすゝめ』の一篇でこの「怨望」を口をきわめて攻撃していますが、そこでも具体的なイメージモデルは御殿女中です。御殿女中の出世は殿様の気まぐれなご寵愛しだい。この社会では誰が殿様に気に入られるか、その見通しがまったく利かない。女中の個人としての才覚はほとんど何の役にも立たない。他人がお引き立てを受けても、客観的に認識する方法がないのだからそれに学ぶこともできない。そうすると、ただ羨むだけ、嫉むだけとなる。
 この社会では、つまりすべてが人間関係に解消される。物事を見ないでまわりの人だけ見ている。そして羨み、嫉む。人が自分より優位に立つとそれを引きずりおろして彼我の平均をはかる。福沢は、これはひとつには孔子の考えに責任があるという。孔子は「女子と小人は養いがたし」と嘆いたけれど、孔子たち身分のある男たちは女子や小人の輩を束縛して彼らの働きに自由を与えなかった、そのために怨望の気風が生じたので、孔子の嘆きは自業自得ではないかというわけです。

 第4講 自由は多事争論の間に生ず

 上巻 p156-7
 福沢は儒教文明を非常に問題視しています。自由の敵として儒教に対し、ほとんど憎悪に近い感情を持っている。儒教帝国としての清朝中国――こういう見方をしないと福沢の中国は理解できません。
 その中国の独裁皇帝政治にのありかたに関連して、福沢は日本の歴史で武家政治が出てきて皇帝親政を排し、<益々君上を神視して、益々愚に陥る災厄を防いだ画期的意味>を言っています。
 ところが福沢以後、近代日本の運命は福沢の命題にとっては皮肉なことになりました。私たちの世代が暗記させられた軍人勅諭に 「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」 といい、だから今後は朕が親しく兵馬の権をとる、そうして「再び中世以降のごとき失態なからんことを望むなり」とあります。軍人勅諭によれば、武家政治は中世以来700年間もの「失態」だったのです。軍人勅諭は福沢のこの本の出た数年あと、明治15年に発布されました。
 だから「侍」のエートス軍人勅諭を基礎とする近代日本の軍人精神とは非連続なのです。後者の、国家による武装の立場から批判すれば、自己武装の原則に立った武士の存在は、700年間にわたる「失態」にほかなりません。武士道の連続的伝統を説く論者は、新渡戸稲造から三島由紀夫まで、そのへんをまったく混同しているように思われます。