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中根千恵 『タテ社会の人間関係』(講談社現代選書)1/2

 1967年に発刊され2017年現在129刷・170万部が読まれているという自国文明論の超ロングセラー。

 論理よりも感情が支配しているとされる日本人の社会。西洋、インド、中国等の社会に比べて、なぜ人々の間に契約精神が欠如し、その場しのぎの価値観が支配しているのか、その根本的な理由を、著者中根教授は世界中でもかなり特異な「日本社会の単一性」に見出す。
 日本列島には関東・関西、東北・西南日本、沖縄・北海道などといった「地域差」があることがよく言われるが、中根教授は、国としての政治動向、大きな自然災害などに対する地域住民の心的反応の「全国的な共通性」には、この地域差をはるかに超えるものがあるとする。
 
教授によれば、この日本列島における文化の共通性は、とくに江戸時代以降の中央集権的政治権力に基づく行政網の発達によって、いやがうえにも助長された。さらに近代における徹底した学校教育の普及が国民意識の単一化にいっそう貢献し、戦後になると、民主主義と経済発展が中間層の拡大という形を取りながら、ますます日本社会の単一化を推進させてきた。(p188)
 この単一化社会については、ついこのあいだの、地方創生をテーマに掲げた全国会議で、「地方には地方の伝統文化があるのだから、それをもっと発展させなければ」と述べられた意見に対して、地方の参加者たちから「そうだそうだ、中央はそのアイデアを出すべきだ」との賛成意見しか出なかった、というジョークがあるほどである。

 以下に書き抜くいくつかのパラグラフは、いずれもこの日本社会の長い歴史を持つ単一性、一つの地域に多様な共同体の横のつながりを認めないという特殊な社会のあり方を述べて、読者の中に、人によっては深い共感を、別の人によってはかなりのいら立ちを呼び覚ますものである。

 

 p64-5 「二君に仕えない」日本人の危機管理の怪しさ

 フィールドワーク中に体験したことだが、外国での日本人コミュニティはたいてい、アジア・西欧であるとを問わず、現地社会からひどく浮き上がっている。これは決して日本人が外国語が下手だからという単純な理由からではなく、日本人の社会集団のあり方が、他の社会のそれと、構造的に異質なものであるからと思われる。

 それは日本人の社会集団が、個人に全面的参加を求めるということである。ある人が現地の外国人たちと密接な社会関係・友人関係を保ちながら日本人コミュニティにも100パーセント認められるということは非常に難しい。

 これと対照的なのは中国人の場合である。彼らは二つ以上の(ときには相反するような)集団に属し、いずれをより重要とも決めていないことが多い。彼らが属する二つ以上の集団はそれぞれ機能の異なるものであるから、それらに同時に属することは少しも矛盾ではなく、当然だと考えている。日本人にとっては「あいつはあっちにも通じていやがるんだ」ということになって、道徳的非難の対象になりかねないのだが、こうした日本人的一方所属というのは、世界でもまことにめずらしい。イギリス人もイタリア人もみな中国人的複線所属である。彼らにしてみれば所属集団が一つしかないということは、その集団の評判が悪くなれば自分個人まで危うくなるのだから、保身術として最低であるというわけである。