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多田富雄 『免疫の意味論』(青土社)1/2

 p196-8 

 遺伝性風土病がサルジニア島を敵から守った

 イタリアの孤島サルジニアには、イタリア本土とはあきらかに容貌を異にした人たちが住んでいる。彼らは紀元前7世紀にフェニキア人に滅ぼされ、次いでカルタゴ、ローマ、ビザンチン、スペインなど次々に多民族の征服にゆだねられたが、サルジニア人の土着の民族性は2000年にわたって維持された。

 こうした民族の独自性を守った要因の一つに風土病がある。サルジニアにはフェニキア人が持ち込んだという悪性のマラリアがあり、カルタゴもローマもビザンチンもスペインも、武力では勝ったものの兵士はマラリアに次々と倒され、長く駐屯することはできなかった。
 ではなぜ島民の方はマラリアで全滅しなかったのだろうか。島民にだけマラリアに対する免疫ができるはずがない。島民が生き延びた理由は、実はこの土地だけの遺伝病にある。

 その遺伝病とは、酸素を運ぶ赤血球の蛋白ヘモグロビンに欠陥があり、赤血球が壊れやすくなって起こる貧血で、地中海貧血と呼ばれる。正確には、成人では発現されない胎児型のヘモグロビンを含む異常ヘモグロビンが大量に作り出され、赤血球の形も変形する。

 通常マラリアの病原体は赤血球に寄生するが、この地中海貧血の人の赤血球には侵入することができない。そのためこの貧血の患者はマラリアに強く抵抗することができる。いきおいマラリアは正常な赤血球を持っている外国兵士だけに選択的に感染し、それを倒していった。地中海貧血の患者は貧血という代償を払って、致命的な熱帯熱マラリアから救われたのだ。

 その結果、サルジニアでは地中海貧血の遺伝子を持っている人口が増加してしまった。2000年余りにわたっての自然選択の結果、地中海貧血は地方によっては20%近くの人が強い貧血に陥る。潜在的にこの遺伝子を持っている人々は、ところによっては70%に達する。遺伝子を作り直すことはできないから、この貧血には治療法がない。

 この事実は、一見悪いように見える遺伝子が、特定の環境の中では有利にはたらくことを示している。人間の中途半端な知恵で、悪いと思われる遺伝子を排除するなどということが、いかに危険であるかを示す好例である。