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ジョン・ダワー 『アメリカ 暴力の世紀』(岩波書店)1/2

 THE VIOLENT AMERICAN CENTURY というのがこの本の原題である。直訳すれば『暴力的なアメリカの世紀』。日本の読者がこの邦題を目にするとき、これではあまりにアメリカに対して侮蔑的に映ることを慮って『アメリカ 暴力の世紀』としたと、訳者が冒頭に付言している。

 政治・軍事・経済・文化のすべての面にわたって支配力を持つアメリカは傲岸不遜で独善的な国である。が、その独善性の裏面には、どのようにしてこの国民性が育まれたのか分からないが、滑稽なほどの被害妄想が見え隠れしている。だから、どんな些細な反アメリカの動きに対しても、アメリカはその国民心理のままに、興奮した子供のように稚拙で危険な行動をとろうとする。民主党員であろうと共和党員であろうと、この独善と被害妄想はあまり変わらない。

 ジョン・ウェインの西部暴力劇は、自分たちは掠奪者であるのにインディアンに迫害されているような異常心理の世界であったし、コンピュータ精密誘導爆弾を使いまくった湾岸3日戦争も、同じ暴力心理の上層軍部が演出した過剰な復讐劇だった。

 序文p15

 アメリカ合衆国は、その圧倒的な軍事力にもかかわらず、冷戦期の朝鮮戦争ベトナム戦争では停戦と敗北を経験した。そして冷戦終焉の1991年からわずか10年後の2001年9月11日、アルカイダによる世界貿易センター国防総省ビルへの攻撃が実行された。これにたいする応酬としてアメリカ政府が開始した「テロとの世界戦争」は、拡大中東圏に終わりの見えない不安定と混乱を引き起こしたことで、アメリカの軍事的失敗を再び証明してしまった。

 アメリカ政府にとって無念であったと同時に失望的であったのは、国防総省の歴史上先例のない軍事技術的優位性が、ほとんど無秩序ともいえる非国家集団の不規則な戦闘員たちと戦う「テロとの新しい戦争」に挫折させられたことである。

 p94-6

 地中海でも太平洋でもそうだが、中東でも巨大な米艦隊は、単に浮かぶ基地ではいられない。艦隊を維持するには大規模な陸上施設が必要であり、1990年代以降、中東ではアメリカの陸上施設が大幅に増強された。もちろん中東の石油をにらんでのことである。熱心なイスラム教徒がいかにアメリカの国際政治暴力を憎悪していたか、9.11事件を見ればよくわかる。
 たとえば1990年8月に始まった湾岸危機・戦争では、アメリカ軍と多国籍軍サウジアラビアの15の基地を集結場所とし、ここから航空機を発着させている。さらに1992年から2003年のあいだ、アメリカが南イラク上空を飛行禁止区域に設定するに際し、アメリカ主導の多国籍軍の監視飛行発着地として、サウジアラビア王国は重要な役割を果たした。
 サウジアラビアに海外の軍隊が駐屯するということは、多くのイスラム教徒に対しては聖地メッカとメディナを冒涜することであり、アメリカに対するサウジアラビアの隷属を象徴するものとして、とりわけ侮辱的なことであった。
 9.11攻撃の首謀者であったオサマ・ビン・ラディンは、早くも1996年時点から、アメリカの軍靴が彼の生地の神聖さを汚していると、公然とかつ激しく非難していた。

 歌にはなりにくい「政治」をときどき真正面から取り上げる歌人・馬場あき子は、9.11事件の後、もともとの「正義」はこのビン・ラディンにありとして、腰の据わらない日本中のメディア知識人たちをうろたえさせた。その馬場さんも、今年90歳になった。
 ・丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビン・ラディン生きて逃がれよと思ふ 
 ・ならずものの大国の辺に寄りそへる三等国日本のつくつくほふし