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ユヴァル・ノア・ハラリ 『サピエンス全史』(河出書房新社)1/7

 昂奮しながら本を読んだのは久しぶりだ。
 原著には  a brief history of humankind(概説人類史)という副題が付いているが、内容を正しくいえば、日本語副題のとおり「文明の構造と人類の幸福」である。数年前に本書が出たことは知っていたが、サピエンスの全歴史というタイトルの大袈裟さに出版社の嫌味な受け狙い姿勢を感じて、捨て置いていた。
 それがこのあいだ新聞の何かの書評のなかにこの書のことが触れてあり、「人類史について、とうとうこんなものが書かれてしまった。この書物以後人類史学者は何を書いたらいいのだろう」というような言い回しで、著者ユヴァル・ノア・ハラリに完全に脱帽していた。その評者が誰かも忘れてしまったが、私が何冊か著作を読んで信頼している人だったので、その人がこれだけ持ち上げているのだから読んでみないわけには行かなかった。上下2巻各250ページの瞠目すべき「概説人類史」である。

 著者・ユヴァル・ノア・ハラリは若冠42歳のユダヤ歴史学者だ。どこかでも書いたことがあるが、ユダヤ人は世界人口のたった0.25%しかいないのに、ノーベル賞では20%、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞では25%をユダヤ人が受賞している。言うまでもなくノーベル賞フィールズ賞では、先人の業績を一歩一歩踏まえて先に進もうとする堅実さよりも、研究の目のつけどころが問われる。その発想がのちの研究者にどれだけ豊かなサジェスチョンを与えられるかということだ。日本人のノーベル賞受賞者に東大出が少ないのは、堅実で優秀な官僚の養成機関であるという東大の基本性格が作用しているからに違いない。

 世界で最も厳しい知的雰囲気の中で訓練を受けた著者も、第1章ではごく普通の考古遺伝学的事実から語り始める。200万年前にヒトとなったわれわれの祖先が20万年前にネアンデルタール人として地球上を制覇しつつあったこと、それが7万年~5万年前にサピエンスに取って代わられたこと、自分の環境を認知し分析する能力にかかわる遺伝子がサピエンスの中でだけ突然変異を起こしたことがこの覇権交代を生んだこと、などだ。
 その後、農業革命が起きたことで、サピエンスはそれまでの狩猟採集社会を捨てる。住民が一定の地域に住む社会が生まれることになり、そこではやがて書記体系の発明によって、社会の「財」の管理が可能となる。このことは書記体系を操る王と官僚階層を頂点とするヒエラルキーを必然的に生み出すとともに、王を自然界の秘密に通じた存在としてシャーマン化しようとする超人間的秩序が編み出される。
 この一方で、自分をとり巻く森羅万象を言語によって分節的に理解しようとすることも、5万年前のサピエンスの脳に組み込まれた本能だった。その本能が約500年前に、現在のわたしたちに直接つながる科学革命を生んだ。
 その科学革命は今もなお速度を増して進みつつあり、科学革命がなってわずか500年後、サピエンスは自分たちの身体と、自分由来ではない有機・無機の物質を組み合わせて、両親から自然に生まれた「自分」をいまや科学の力で超えようとしている・・・。

  この本が際立っているのは、そこに生きる人類の<幸福感>が、社会構造が転変するなかで、どのように変わって行ったのかあるいは変わらなかったのかということが、いつも中心課題として問われていることである。
 このような幸福感を中心にすえた人類史は、少なくとも日本人によるものとしては書かれたことがないのではないか。

 ふつうの歴史書では、ナポレオンがロシア遠征でどのようにクズーツォフ将軍の焦土作戦に破れ、そのことが以後のヨーロッパ分割計画にどう影響し、後のヨーロッパ帝国主義の台頭のどんな礎になったかということが論じられる。  
 それがこの本では、次のように読者に語りかける。いわく、現在のさまざまなイデオロギーは人間の幸福の真の源に関するかなり浅薄な見解にもとづいていることが多い。国民主義者は自決権が欠かせないといい、資本主義者は自由市場だけがどの国の人にも最大幸福をもたらすことができると主張する。だが、八世紀イスラム教の台頭によって、エジプト人は日々の暮らしに対する満足感が深まったか、さらには、アフリカにおけるヨーロッパの諸帝国の崩壊が、無数の人々の幸せにどう影響したのかといった問題は提起しない。ましてやバビロンの住民が狩猟採集生活をしていた祖先よりも幸せだったのかなどとは問いもしない、と。

 この本では、独特のアイロニックな文体によって、従来の歴史書で説かれてきたことがどこまでイデオロギーに汚染されていないかが、目の細かなフィルターにかけられる。それでいて文章は少しも晦渋ではない。世界各国で大ベストセラーになったのももっともだ。