アクセス数:アクセスカウンター

国分 拓 『ノモレ』(新潮社)

 NHKドキュメンタリー番組『大アマゾン 最後の秘境』のナレーション原稿を書籍化したもの。
 舞台は大アマゾン川の上流、ペルーアマゾンの大きな支流域に広がる世界最大の熱帯密林地帯。
多くの部族に枝分かれした先住民たちが、自分たちを馴化しようとしている近代文明になじめないまま、半未開の生活を送っている。主人公ロメウはそうした先住民部落を「意識高く」率いる若い村長で、先住民保護活動のNGOや地元役所とのコーディネート業務に忙しい日々を送っている。
 
そこに、アマゾン支流の対岸にはるかに広がる森の奥から、部族名さえ分からない人間=イゾラドが現われて、半馴化された先住民部落から食料を奪い、人々を傷つける。本書の大半は、この未知の部族はいったいどういう流れをくむ人たちなのか、ロメウたちと交流可能な人間なのか、それとも従来の範疇を超えた人たちで、そもそも近代人・半馴化先住民とのコミュニケーションはまったく不可能なのか――を記述することに費やされる。

 私が思うに、このイゾラドは前サピエンスの血を真っ直ぐにひく人たちではないか。ロメウたち半馴化された先住民=サピエンスは、日頃TVや写真で見慣れた南米先住民の顔そのままであるのに対し、本書165ページに載っているクッカというイゾラドはまったく違う系統の顔をしている。ロメウたちの身長が160~165センチであるのに対し、イゾラドたちは170センチを優に超えており、骨格が発達し筋肉も隆々としている。このことは7万年まで地球の各地で優勢だったネアンデルタールの特徴をよく表している。しかしネアンデルタール人ベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に渡っていたという話は聞いたことがない。

 だが、彼らの話す言葉は彼らが一般の先住民=サピエンスでないことを思わせる。3~5万年前にホモ・サピエンスの脳内に起きたとされる、複雑な構文をつくる脳内配線の突然変異が、彼らイゾラドに起きなかったのは確実なようだ。133-4ページに彼らイゾラドの言語がいかに前サピエンス的であるかが述べられている。

 p133-4

 彼らとの交流は容易に進まなかった。接触を重ねていっても、彼らとの会話は一問一答しか成立しないのだ。込み入った会話が彼らはきわめて困難なのだ。
 彼らは必要なことしかしゃべらない。それも構文のほとんどは主語・述語・目的語だけで成立する単純さだ。たとえば、バナナが欲しい。ここで待つ。明日も来る。朝にくる。猿を食いたい。あいつらはどこにいる。・・・といった具合だ。
 彼らは、仲間同士でも、必要なことしかしゃべっていないように見えた。実際、彼らが時間つぶしの雑談をしているところをロメウは見たことがなかった。

 以下は本書からはすこし離れる話だが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』によれば、ネアンデルタール人とサピエンスはおよそ5万年前、それぞれ別の進化の道をたどり始める、ちょうど境界上にあったらしい。遺伝子コードと認知的能力や社会的能力はすでに大きく差が開いていたが、何かのはずみでお互いが惹かれあえば繁殖力のある子孫を残すことはまだ可能だったようだ。つまりその頃、彼らは稀には交雑していたようで、ロメウのような半馴化された先住民も含めて、地球上の人類のDNAのうち数パーセントにはネアンデルタール人のDNAが混じっている。

 だが、ネアンデルタール人とサピエンスがそういう関係にあったのなら、今ネアンデルタール人ネアンデルタール人としてどこにも存在していないのはどういうわけか。誰でも想像できるように、サピエンスによって絶滅に追い込まれた可能性を考えてみなければならない。ネアンデルタール人が何十万年も暮らしてきたある平原や密林に、サピエンスの集団がやってきたところを想像してほしい。新参者たちは動物を狩り木の実やベリーを集める。どれも昔からネアンデルタール人が主な食料としてきたものだ。サピエンスのほうが、優れた技術と社会的技能のおかげで狩猟採集が得意だったため、子孫を増やし拡大していった。才覚で劣るネアンデルタール人は、食べていくのが次第に難しくなった。人口が徐々に減り、ゆっくりと死に絶えて行った。ただ例外として、ごくわずかな人たちが近隣のサピエンスに加わって生き延び、DNAを後世に残して行けたかもしれない。(『サピエンス全史』上巻p31)