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ジョン・ホーガン 『科学の終焉(おわり)』(徳間書店)

 A5判、本文だけで400ページ、丁寧な索引まで入れれば500ページ近いこの本には、進歩の終焉、哲学の終焉、物理学の終焉から始まって宇宙論、進化論生物学、神経科学、カオス科学、リミトロジー、科学的神学など現代を特徴づける様々な科学が終焉(おわり)に近づいているとの考えが述べられている。筆致は実力派科学ジャーナリストらしく説得力ゆたかで読者は引きずりこまれる。

 しかし著者の言う「終焉(おわり)」とは「ジ・エンド」という意味ではなく、「煮詰まってしまった」という意味である。「ジ・エンド」といわれれば誰だって反論がすぐに思い浮かべられようが、「煮詰まってしまった」ということなら、どの分野では何がどれほど煮詰まってしまったのかは、多くの人が興味を持つだろう。ということで、僕もふうふう言いながらざっと通読してみたが、「煮詰まり論」を一冊読み終えたときの気分は決して明るいものではなかった。ひとことで言えば、自分たちはこんな後戻りのできないところまで来てしまったのだ、という思いにとらわれるものだった。

 p19

 科学が進歩するにつれ、科学自体のうちに秘められた限界も、おのずから明らかになってきている。アインシュタイン特殊相対性理論によれば、光のスピードより速い物質や情報の伝達はありえない。量子力学によれば、ミクロの世界について私たちが知りうる情報は、しょせん不確定なものでしかない。カオス理論は、量子の不確定性を待たずとも、多くの現象は予測不可能だとしている。ゲーデル不完全性定理は、現実を記述する際に、完全で無矛盾な数学的理論を構築することはできないことを証明してしまった。そして進化論は、人間が、自然の深い真理を発見するためではなく、繁殖を目的として、自然淘汰の偶然によりつくられた動物でしかないことを主張し続けている。

 p34-5

 つまり基礎科学、すなわちわれわれが何ものであるについての追求は、すでに収穫逓減の時代に突入しているのだ。研究者たちは、すでに、クオークと電子のミクロな領域から、惑星、恒星、銀河のマクロな領域にまで及ぶところの物理的実在の精密な地図を描いてしまった。物理学者は、すべての物質がいくつかの基本的な力――重力、電磁気力、強い力、弱い力――によって支配されていることを示してしまった。

 科学者はまた、人類の発生について、きわめて精緻というわけではないが、一つの印象的な絵巻物をつくりあげた。宇宙は150億年前に爆発的に生まれ、50億年前には超新星爆発の残骸が太陽系で凝縮することで、地球上にあらゆる元素がもたらされた。次の数億年の間に、またまた時間の偶然の中でDNAと呼ばれる巧妙な分子を持った単細胞の有機体が、まだ地獄絵のようだった地球上に現われた。この原初の微生物に始まり、自然淘汰がその上にかぶさって、われわれを含む複雑な生き物たちの驚くべき系譜ができあがったのだ。

 科学者が自分たちの知識で織り上げたこの物語は、いまから1000年後でさえ有効だろう。それはこの話が真実の話だからだ。科学がすでにどれだけ遠くへ達したかを考慮し、人間の認識の原理的な限界を考えるとき、科学は、すでに生み出した自らの知識に重要な変更・追加を加えることはできそうもない。将来にわたって、ダーウィンアインシュタイン、ワトソンとクリックらによって授けられたものの匹敵する大革命は起こらないだろう。