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池澤夏樹 『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』(角川文庫)1/2

 短篇『星空とメランコリア』と中篇『やがてヒトに与えられた時が満ちて…』の2作を収録する。

 『星空とメランコリア』は1977年に打ち上げられたボイジャー1号・2号と、ボイジャーが運んだCDを「読んだ」<知的生命体>に向けて書かれたメランコリック・サイエンスレターとでも言ったらいいだろうか(ボイジャー1号・2号は擬人化されている)。もちろん池澤は地球人のメッセージを受け取る生命体など期待していないから、『星空とメランコリア』全体には、妙な言葉だが「人間主義的な終末論」めいた通奏低音が流れている。

 『星空とメランコリア』p24-5

 「宇宙の果てとその先」という問題は、自然数の列が無限に伸びていることを前提にしたうえでの数学的操作の問題です。操作というのは、どんなに大きな数を考えても「+1」をするとその大きな数はやすやすと超えられてしまう、それだけのことです。

 宇宙をどんどん進んで行って、果てに至る、そういう思考実験をさせると、僕たちのほとんどの者は「その先は?」と問います。宇宙の果ての先? 彼らは具体的には何も考えていない。ただ、膨張する宇宙の最前線まで行けたとして、そこで牧場の柵の向こうを見るように、「その先」を問う。「その先」が成立しないところだからこそ「宇宙の果て」なのだということに気付かない。どう説明してやっても、言葉でごまかされたとしか思わない。

 言ってみれば、自然数の列がずっと先の方でループを作って戻っているようなものです。そこまで行くと「+1」は先へ進むのではなく、元の方向に戻る操作になってしまう。宇宙に限界があるというのはそういうことなんです。無限とか永遠とか、抽象的な概念に現実を合わそうとするから、宇宙の果ての話をしながらその先を求めるという矛盾の領域に気付かずに踏み込んでしまうんです。