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シュテファン・ツヴァイク 『三人の巨匠』(みすず書房)2/2

 ディケンズ

 ディケンズの作品は伝統の中に安住しようとする
 イギリス国民の無意識の意志が芸術と化したものである

 p59-61

 イギリスという国の伝統は、フランスがフランス人に対するよりも、ドイツがドイツ人に対するよりも、微細な血管の網目をとおして、あまりに深くイギリス人の魂の土壌に食い込んでいる。それを引き剥がそうとすれば、自己の組織全体がズタズタになり、傷口から血が噴き出す。
 むろんイギリスにもバイロンシェリー、オスカー・ワイルドのように、自由な世界市民を渇望してそれを敢行した貴族はあった。彼らはイギリス人の永遠の市民根性を憎悪し、自己に巣食うイギリス人を根絶しようと試みた。しかし、彼らが引き裂いたものはみずからの生命にほかならなかった。

 イギリスの伝統の根強さは比類がなく、世界に勝利を誇っている。しかしそれは同時に芸術の最大の敵でもある。なぜか?イギリスの伝統は表裏の異なる狡猾な伝統だからだ。イギリスの伝統は無愛想や不愉快の様子は少しもなく、暖かい炉の火と安らかな住み心地で人をさそう。
 そのかわりそこには道徳の生け垣がある。四角四面に自己を限り、規制し、奔放な芸術活動にはあからさまな敵意を示す。よどんだ空気の充満するささやかな住居のように、生に危険な嵐から守られ、明るく、親しげに、客あしらいがよい。まさしく、市民的満足の暖炉が赤々と燃える「ホーム」である。しかし、世界を故郷とし、無限の広域に波乱多い遊牧のさすらいを味わおうとするものには、一転して牢獄となる。

 ディケンズはこのイギリスの伝統の中に安住した。四方の壁の中に家庭の一員として自己を適合させ、ここに家庭の幸福を感じ、生涯のあいだ一度もイギリスの芸術的、道徳的、美的限界を超えることがなかった。彼の体内の芸術家は、イギリス人との確執を経ることなしに、徐々に開花していった。イギリス国民の無意識の意志が芸術と化したもの、それがディケンズの作品である。
 ディケンズは、ナポレオンの英雄的世紀と、帝国主義すなわちイギリスの未来の夢との中間に挟まれたイギリス伝統の、こよなき文学的表出である。彼は惜しくも、彼の天分が当然なし得たはずの激烈なものをわれわれに与えてはくれなかったが、それを妨げたのはイギリスの民族そのものではなく、ヴィクトリア時代といういわれなき一時的現象である。

 シェークスピアも、イギリスにおける一つの時代の最高の可能性であり史的実現であった点は同じである。それがエリザベス時代という行動欲にあふれた、新鮮な感覚の、若くたくましいイギリスであったにすぎない。まさにイギリスが世界制覇を目指して蹴爪を伸ばしはじめ、たぎり立つ力に灼熱し振動していた時代なのだ。
 シェークスピアは行動と意志とエネルギーの世紀の落とし子なのだ。アメリカに夢の国土が獲得され、宿敵は打倒され、イタリーからルネサンスの火焔がイギリスという北の国まで広がって来ていた。「一つの神」の価値が下がり、生命力にあふれる新しい価値が世界を充たしはじめていた。
 シェークスピアが英雄的イギリスの顕現であったとすれば、ディケンズブルジョア的イギリスの象徴といわねばならない。彼はもう一人の女王、柔和で主婦的なほかにはとり得のない老クイーン・ヴィクトリアの光輝く臣下だったのだ。