アクセス数:アクセスカウンター

シュテファン・ツヴァイク 『ジョゼフ・フーシェ』(岩波文庫)2/2

 p329-32

 1815年、エルバ島を脱出しパリに凱旋した「100日天下」当時のナポレオンは、運命の回り合わせで名前だけが皇帝であったにすぎなかった。しかるに彼の傍らにいるフーシェは、まさにこの時代こそ、あぶらの乗った最中だった。刀のように鋭い切れ味をつねに詭計の鞘に秘しているその理性は、絶えずきりきり舞いしているナポレオンの情熱のようにはすり減らなかった。帝政の復活と没落の間のあの100日天下におけるほど、フーシェが老練狡猾な、円転滑脱な才を示したことはない。

 ルイ18世共和党員も、王党派の人々もロンドンもウィーンも、フーシェをもって交渉するに足る唯一の相手と目していたのであって、彼の数学的な冷静な理性のほうが、ぱっと燃え上がって混迷の嵐のまにまに揺れ動くナポレオンの天才よりも、疲労困憊して平和を渇望している世界にとっては、安心を与えることが多かった。

 勢力不安定なナポレオン皇帝の使節が容赦なくとらえられて投獄されたその同じ国境が、オトラント公爵となっていたフーシェの密使に対しては、まるで魔法のカギで触ったのかのように、開けられるありさまだった。ウェリントンも、メッテルニヒも、タレーランもオルレアンも、露帝も諸国の王も、彼らはみなフーシェの密使をこぞって出迎え、下にも置かないように遇したのである。これまでみんなを散々だまして恨みを買ってきた男が、にわかに世界賭博における唯一の信頼しうるばくち打ちとして通ったのだ。

 この情勢を見てナポレオンは、これまではいつでも鉄拳をふるえたこの男にいまや自分が腕をねじ上げられ、国の選挙は自分に劣勢になるようにこの男が王党派から共和派まで切り回し、専制的な皇帝の意思は共和主義的な議会でブレーキを掛けられ、ことごとく邪魔されるのを黙ってみていなければならなかった。

 この数週間の政治こそ、世界史に現れた外交という仕事の、最も完璧なものと言わなければならない。個人としてはフーシェとは敵の間柄である理想主義者のラマルティーヌさえ、フーシェマキアベリスト的天才に対しては称賛を拒むことができなかった。彼はこう書いている。「フーシェは大胆極まる策を弄してナポレオンを包囲し、共和党員には阿諛し、フランス軍をなだめすかし、英・墺・独・露には秋波を送り、ルイ18世には微笑みかけ、思わせぶりな態度を示してタレーラン氏とも音信していたのであって―—―要するにすべてを彼の態度一つによって宙ぶらりんにしておいたのだ。これは高貴な精神を持たない役ではあるが、愛国心と英雄的勇気なしには果たせない役割でもある。歴史はフーシェを弾劾しながらも、かの100日天下の時に示した彼の態度の大胆なること、そして智謀百出、変通の才の偉大なることは認めないわけにはいかないだろう。」