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★プルースト 『失われた時を求めて 8 ソドムとゴモラ Ⅰ』(岩波文庫)8/13

 長大な『失われた時を求めて』の半分をようやく越えた。読むのはたいへんだが、トルストイ戦争と平和』と違って読者に対する説教臭さがみじんもないのがありがたい。

 『ソドムとゴモラ』はその名の通りソドム(男性同性愛)とゴモラ(女性同性愛)が中心テーマ。前巻までに登場した人物たちの何分の一かがこの「病」にかかっていることが暴露される。この巻では大貴族ゲルマント公爵の弟を中心にしてソドムが描かれ、後半部になって全編の語り手である「私」がかつて激しい思いを寄せたアルベルチーヌがゴモラなのではということが暗示されてくる。この話は続く第9巻でも展開されるらしい。

 『失われた時を求めて』においてプルーストは全14巻のすべてのエピソードを知り尽くしている「神のごとき視点」を持っていない。自身も同性愛者だったプルーストは、「私」をとおして同性愛者たちにたいして道徳的批判もしないし、もちろん称賛もしない。同性愛者であることはその人の価値にいかなる影響も与えない。その人の価値とは、その人が自分と社会を観察するどのような鏡をいくつ持っているか、その鏡はどれほど精巧なものか、などによってしか測れないからである。大貴族ゲルマント公爵の弟の尊大さと無教養と反ユダヤ主義は、同性愛であろうがなかろうがいささかも変わりないだろうし、同性愛が20年後のヨーロッパでどのようになっていくかには、彼は牛が羊に興味がないのと同じくらい無関心だったろう。

 翻訳者・吉川一義教授によれば、プルーストホモセクシュアルだったのみならずとてもスノッブな社交人で、おまけにユダヤ人である。ホモ・ユダヤスノッブというのは、プルーストを揶揄する人が今もしばしば使う三点セットであるらしい。

 当時1900年頃、フランスでは有名なドレフュス事件もあって反ユダヤの風が吹き荒れていた。ちょうど第一次世界大戦の15年前、成功した産業ブルジョワジーが社会を握りはじめ、ナポレオン以前からの世襲貴族社交界は没落の予兆におびえていた。文名高きプルーストがそうした没落寸前の社交界にどっぷりつかったスノッブであり、しかもホモセクシュアルユダヤ人であったならば、彼の筆致がしねくねとどこまでも曲がり続ける寄生植物のようになるのは当然だろう。なにせシュテファン・ツヴァイク言うところのヨーロッパの『昨日の世界』というのは、反ドレフュス、反ユダヤの大立者である超名門貴族のゲルマント公爵さえもが、温泉保養地で三人のイタリア貴婦人にあっさりと丸め込まれ、熱心なドレフュス支持派となってご帰還あそばすような状態だったのだから。

 そしてそのゲルマント公爵という男は従兄の危篤を無視して仮装舞踏会に出かけるという、政治漫画の主人公になれるような利己主義者である。この大物独善男がイタリアの温泉地で、当時のフランス最大の政治問題だったドレフュス事件に対して自分の意見をコロッと180度転換してしまうシーンはなかなか面白い。いかにもいまから100年前の小説的、「失われた時を求めて」的な楽しさという意味で。

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 歴史の重要な時期にはきまってあらわれる現象がゲルマント公爵についてもあらわれた。ゲルマント氏は仮装舞踏会から帰ったところだったが、あすはどうしても従兄の正式の喪に服さなければならないと考え、予定した温泉療法を少し遅らせることにした。それから三週間後、その温泉療法から戻ってきたとき、公爵の友人たちは驚きのあまり声も出なかった。

 それまで公爵はドレフュス事件に無関心で、ついで熱心な反ドレフュス派になったひとである。その公爵が言ったのだ。「そりゃ審理はやり直しで、あれは無罪放免になる。何もしていない人間を有罪にするわけにはいかんからね。証拠文書を偽造した軍部などはフランス人を戦争で屠殺しようとしているのだ!おかしな時代になったものだ!」

 じつは三週間の間に公爵は温泉療法の地で、三人の魅力的な夫人(さるイタリア人の大公妃とその義理の姉妹)と知り合ったのである。その三人が読んでいる本や芝居について洩らす二言三言を聞いただけで、ただちに公爵は、これは知性をそなえた婦人である、とうてい太刀打ちできぬと悟った。

 公爵は三人の貴婦人にブリッジに誘われ有頂天になったのだが、そのブリッジの席でつい反ドレフュス派の情熱に駆られて「さて例のドレフュスの再審は、とんと聞かなくなりましたね」と言ってしまった。それに対して大公妃は「今ほど再審が間近になったことはありませんよ、何もしなかった人を流刑地ににとどめておくわけにはいきませんからね」と答えたのである。公爵は「え?え?」と口ごもるほかはなかった。

 公爵と三人の魅力的な夫人はその後も数日間温泉療法地でいっしょに時間を過ごした。そのあいだに三人の魅力的な夫人は公爵の持ち出すドレフュス派不利の「証拠」を次々と笑いとばし、じつに巧みな論法を駆使して、それは何の価値もない滑稽千万な説だと苦もなく証明して見せた。かくして公爵は、熱烈なドレフュス支持派となってパリにもどってきたのである。