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★プルースト 『失われた時を求めて 9 ソドムとゴモラⅡ』(岩波文庫)9/13

 前の巻に続いて主要登場人物のソドム(男性同性愛)とゴモラ(女性同性愛)が語られる。いま小説で同性愛を書いても何も新鮮味はないが、プルーストの時代では社会の「良識派」が指弾の標的にするスキャンダルであり、貴族であれば表向きの社交界から招待状が届かなくなってしまうという危険な不行状だった。

 前の巻の冒頭で、しがないチョッキの仕立屋に己が性癖を露わにしたシャルリュス男爵(大貴族ゲルマント公爵の実弟)がこの巻でも主人公だ。シャルリュス男爵は、フランスの公式貴族サロンでは男爵だが、イタリアやスペイン、中欧などでは伯爵や大公を称することができ、しかも音楽や文学などにも造詣がある。
 その社交界の大物がこの巻では、モレルという従僕階級上がりで両刀使いの出世主義音楽家を追いかけまわし、ときどき嫉妬に狂わんばかりになる。女とモレルの密会場面をのぞき見するために娼館にまで出かけるありさまで、娼館の女主人や娼婦に手玉に取られるのだが、このあたり、社会の裏世界事情に疎い大貴族の人間的本性が暴露されていて、なんとも哀れである。

 しかし、前の巻でもそうだったが、この巻でも600ページほどの大部の半分以上を占めるのは、登場人物たちがこれでもかこれでもかと繰り広げる駄弁である。前の巻では、王室に近い大貴族ゲルマント公爵夫人たちが、自分より格下の晩餐会招待者に向かって「だってあなたは私どもと対等なのですよ、私どもより上だとはいわないまでも」という態度を、ドレスと宝石と肩をそびやかす見下し視線によって示しながら、ドレフュス事件の推移やブルジョア・民衆階級の風俗の乱れを「慨嘆」していた。
 
この巻ではその見下される相手の階級が大貴族から新興のブルジョア・知識階級に変っただけである。その当人であるパリ大学医学部や文学部の教授であるコタール、ブリショの開陳する身体症状の医学的分析やフランス各地の地名の語源説はまさに笑止千万そのもの。自分の社会的評判だけを気にして、当面の相手をとりあえず口あんぐりにしておきたいという心根はゲルマントら大貴族のスノビズムと何ら変わりない。
 バルザックの『人間喜劇』が登場人物によって何度も取り上げられるが、『失われた時を求めて』の8巻と9巻は、諧謔精神いっぱいのプルーストが登場人物たちの人間喜劇ぶりを、バルザックの向こうを張って1000ページ以上にもわたって綴ったものとも言える。

 第8巻、第9巻は全巻読破をめざす読者の多くが挫折する難所であるらしい。わたしも、登場人物たちのあまりにむなしい「ことば・ことば・ことば」の連なりに、そのことに配慮しないかに見えるプルーストのおしゃべりに、途中を斜め読みして飛ばそうかという誘惑に何度かかられた。