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村上春樹 『アフターダーク』(講談社文庫)

  場所は大都市の片隅。自室でただ眠り続ける美人の姉。ファミレスで本を読んで夜をやり過ごす妹。ラブホテルで中国人の女を襲うごく普通に見える変質者。何年か前、ヤクザを裏切って背中に焼き印を押され、日本中を逃げ回っているラブホテルの従業員。登場人物全員が家族とか地域とかのつながりをまったく持たない。彼らをかろうじて繋いでいるのは深夜11時ごろから明け方までの、全人類共通の暗闇(=アフターダーク)の時間帯だけ。そんなつながりはつながりではなく、彼らがまったく孤独であることを浮き立たせているだけだ。

 無駄のない場面設定も、知的会話のできる登場人物の配置もとても村上的。そのうえ配役の会話がひじょうにわかりやすく、すいすい読める。そうはいっても、小説の冒頭から最後まで眠り続ける姉は何を象徴しているのだろう。地球がある日突然回転をやめても彼女は眠り続けるだろうから、彼女は自分を含む宇宙全体に関心がないのだ。宇宙がどんな美人にも、モーツアルト交響曲41番にもアインシュタインの宇宙方程式にも無関心であるように。

 主人公のマリと昔ヤクザにひどい目にあったコオロギという女が、小説の話の本流とはほとんど無関係と思えながら、実はしっかりつながった会話をしている。

p242-4

コオロギ「なあ、マリちゃんは輪廻みたいなものは信じてる?」

マリは首を振る。「たぶん信じてないと思う」

「来世みたいなものはないと思うわけ?」

「そういうことについては深く考えたことないんです。来世があると考える理由がないみたいな気がする」

「死んだら、あとは無しかないと」

「基本的にはそう思っています」とマリは言う。

「私はね、輪廻みたいなものがあるはずやと思ってるの。というか、そういうものがないとしたら、すごい恐い。無というものが、私には理解できないから、理解もできんし、想像もできん」

「無というのは絶対的に何もないということだから、とくに理解も想像も必要ないんじゃないでしょうか」

「でもね、もし万が一やで、それが理解やら想像やらをしっかり要求する種類の無やったらどうするの?マリちゃんかて死んだことないやろ。そんなの死んでみないと分からんことかもしれんで。そういうことを考え始めるとね、じわじわと恐くなってくるんよ。息が苦しくなって、身体がすくんでしまうんよ」