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村上春樹 『東京奇譚集』(新潮文庫)

 p16-7

 人間以外の物事に、人への憎しみはない 

 僕はオカルト的な事象には関心をほとんど持たない人間である。占いに心を惹かれたこともない。わざわざ占い師に手相を見てもらいに行くくらいなら、自分の頭をしぼって何とか問題を解決しようと思う。決して立派な頭ではないのだが、それでもそのほうが話が早いような気がする。
 超能力についても無関心だ。輪廻にも、霊魂にも、虫の知らせにも、テレパシーにも、世界の終末にも正直言って興味はない。全く信じないというのではない。。その手のことがあったって別にかまわないとも思っている。ただ単に個人的な興味が持てないというだけだ。
 しかしそれにもかかわらず、少なからざる数の不可思議な現象が、僕のささやかな人生のところどころに彩りを添えてくれることがある。そのことは認める。でも、その不可思議な現象が僕の人生に変化をもたらしたことはない。僕としてはある思いに打たれるだけだ。こういうことが実際に起こるんだ、と。

 ぼくがハワイのハナレイ・ベイで、プロサーファーのみごとな技を見ていたとき、近くの海岸でサチさんという僕の知り合いの息子さんがサメに襲われて亡くなるということが起きた。ぼくはその葬式にも出たのだが、サカタという地元の初老の警官が事件のあらましを参会者に説明していた。そのサカタ警官が、ぼくが日本のメディアの人間だと勘違いしたせいか、別れ際にぼくに言ってくれたことが心に残った。
 「ここカウアイ島では、自然がしばしば人の命を奪います。ごらんのようにここの自然はまことに美しいものですが、同時に時として荒々しく、致命的なものともなります。私たちはそういう可能性とともに、ここで生活しています。サメに右足を食いちぎられ、ショック症状で突然命を奪われたサチさんの息子さんのことはとてもお気の毒に思います。心から同情します。しかしどうか今回のことで、この私たちの島を恨んだり、憎んだりしないでいただきたいのです。あなたにしてみれば勝手な言い分に聞こえるかもしれません。
 私の母の兄は――幼かった私は優しい彼が大好きでした――1944年にヨーロッパで戦死しました。ドイツ軍の直撃弾にあたって、バラバラな肉片になって亡くなりました。大義がどうであれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。
 でも自然はそうではない。自然の側にはそのようなものはありません。サチさんやあなたにとっては本当につらい体験だと思いますが、できることならそう考えてみてください。サチさんの息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていったのだと。私より何年かだけ早く自然の循環の中に戻っていったのだと。」
 この地元の初老の警官の言葉は、土より生まれたものは土にかえるとか、輪廻とかそんな安易ななぐさめよりはずっとぼくの気持ちに溶け込んだ。 僕の妻は数十年前にたまたま運悪く胃の細胞分裂に異常が起こったのだが、つい7年前までそのことに気づかなかった。そして何百人に一人というとてもゆっくりのスピードではあったが、がんは少しずつ増殖してとうとう命を奪ったのだった。いまは人口の半分の人ががんになる。死ぬ少し前「私は何か悪いことをしたのだろうか」と僕に訊いたが、妻は運がなかっただけなのだ。カードゲームでよくないカードを自分で引いてしまったのだ。