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村上春樹 『インタビュー集 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文春文庫)2/2

 <2005年>『夢の中から責任は始まる』

 p361-2

 文春編集部 地下鉄サリン事件の被害者を丁寧にインタビューしてそれをもとにまとめられた『アンダーグラウンド』で村上さんはこう書かれています。「私たちが今必要としているのは、おそらく新しい方向からやってきた言葉であり、それらの言葉で語られる全く新しい物語(物語を浄化するための別の物語)なのだ、と。それはどういう意味だったのでしょう?

 村上  その文章の中で僕が言いたかったのは、地下鉄サリン事件とは、彼らのナラティブ(物語)と我々のナラティブの戦いであったのだということです。彼らのナラティブはカルト・ナラティブです。それは強固に設立されたナラティブであり、局地的には強い説得性を持っています。それゆえに多くの知的な若者たちがそのカルトに引き寄せられました。彼らは美しい精神の王国の存在を信じました。そして彼らは我々の暮らす、矛盾に満ちて便宜的な社会を攻撃しました。彼らの目からすれば、それは堕落したシステムであり、破壊すべきものだった。だから彼らは地下鉄を攻撃しました。騒擾を引き起こすために。彼らは自分たちに与えられたそのナラティブを強く信じていたからです。
 たしかに我々自身、この便宜的で堕落した社会に暮らしている我々自身、ここにあるナラティブは間違っているのではないかと考えることもあります。でも我々には他に選びようもないのです。デモクラシーやら結婚制度やらにうんざりすることがあったとしても、なんとも仕方ありません。それらはぜんぜん完璧ではなく、多くの矛盾に満ちているけれど。それらはとにかく歳月をかけて、それなにとテストを受けてきたものです。それが我々のナラティブです。
 このナラティブを変更しようとすれば、何百年かかけて少しずつ微調整とテストを繰り返し、システム内部から自分たちの考え方を変えていかなければなりません。現にデモクラシーやら結婚制度やらについても、100年前、50年前とは我々の内側からの考え方が大きく変わっていますよね。